ウェアラブルカメラ Narrative Clip 2が届いた!【開封の儀】

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2015年5月22日から待つこと1年以上、ついに届いたウェアラブルカメラ Narrative Clip 2!胸ポケットなどに取り付けて日常を切り取ることができるカメラとしてプロダクト開発されているようです。僕自身はデザインリサーチをするときのツール兼ライフログカメラとして導入することを決めました。

パッケージも可愛いサイズ感のNarrative Clip 2

さて、さっそく開封の儀にとりかかります。
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パッケージのサイズは縦横高さともにおおよそ10cmくらいで、めちゃくちゃ軽い。内包物を守るようにアクリルのカバーが付いており、その中に待ちに待ったカメラが見えています。カラーはiPhoneと合わせて白色を選びました。

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カバーを外し、カメラの台座を取ると中から付属品やアクティベーションの方法が書かれた最低限の説明書が出てきました。

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同封物にはMicro USBコネクター、カラフルなカバーシールが3種類、交換用のピンです。カバーシールがカラフルなのは盗撮と思われるのを防ぐためでしょうか?

手のひらに収まるコンパクトさ

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手のひらと比べたら分かるように縦横は3cm x 3cmくらい。めちゃくちゃ軽いので着けていること、取り外したことを忘れてしまいそうなくらい。

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側面から見るとわかるように厚さがあります。おおよそ2cmくらいで装着すれば気になりませんが、ボディに角度が振られていないので真っ直ぐ撮れるのか少し心配です。もしかしたら下のほうが取られやすいのかも。。これは後ほどの撮影テストで明らかに。

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ボディをひっくり返すと黒色のボディが見えます。ピンはステンレスで、付属のピンと比べるとこちらのほうがカーブが浅いようです。

スペックはこちら

カメラセンサー:8MP / 1080p Video
絞り:f/2.2
画角:86°
書き出しデータフォーマット:JPEG / MP4
解像度:3264x2448 (4:3)
重さ:19 grams / 0.67 oz
メモリ:8GB
GPS設定:対応

標準設定では30秒ごとに写真のインターバル撮影、動画の場合は10秒間の連続撮影となっています。もちろんアプリで設定可能なので、アクティベーションへ移行しましょう!

アクティベーションスマホから

説明書にもあるようにアクティベーションスマホから行います。

  1. まずはスマートフォンから Narrative アプリをインストール
  2. その間にUSBケーブルをPCに接続して充電しましょう
  3. 側面の照明がピコピコし始めたら開始の合図、アプリを立ち上げる
  4. あとはアプリの説明にあわせて登録、設定すればOK Bluetoothを入にして行いましょう
  5. 自宅のwi-fiを登録するとデータの転送が楽ですよ

Narrative Serviceでデータの共有をさくっとやろう

Narrative
10GBまでデータのアップロードが可能なサービスに、アクティベーションと同時に加入することになります。

さて、どれだけのデータ圧迫量となるのでしょうか。使い方次第でどうにかなるのか、僕もまだわかりません。次の【撮影編】をお待ち下さい。

追記 撮影編公開

pnch.hatenablog.com
pnch.hatenablog.com

街へ関わるきっかけを探る「ごえんの投票」

https://www.instagram.com/p/BGKFYI5qeww/
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「多数決を取ります」なんていうフレーズを最後に聞いたのはいつごろだろうか。社会に出てからは30人程度が参加した会議で多数決による決定というタイミングはほとんどない。そこには意思決定者である社長や代表がおり、その人の判断に委ねられるため提案と調整で進行していくからだ。100人が反対しようが経営判断で実行に至ることもあれば、その反対もまた然り。その結果によっては意思決定者の首がすげ替えられることもザラだ。

社会に出てから私が最も身近な「多数決」は選挙だろう。(家族間や友人間での多数決は人数が少ないので割愛する)。大きな声で繰り返し叫ばれた名前と政治家としての良し悪しなど分かるはずもないのだが、なんとなく良さ気な人を選んで名前を記入して紙を箱に入れる。年々下がりつつある投票率は置いておいて、関節民主主義を掲げる我が国では、なんとなくの票と思いのこもった票と無関心な表にはならない意思表示が入り乱れる。「清き一票を!」という叫び声に対して、「この一票がなにかを変えることはないだろう」という半ば諦めムードが漂うのだが、他にやることもないなと投票しないのもバツが悪いかなと投票所へ向かうのだ。

1票を投じることに虚しさを感じてしまうのは開票速報を見ている時だろうか。私自身はアルゴリズムで判明した思想が似ている政治家に投票することにしているのだけど、その人の顔も経歴もわからないけれど1票の行方を少しだけ気にしてテレビを見ている。そしてまったく別の名前の人が当選したところで「まあ、そんなもんか」と切り替えて当選した政治家の行方も大して追わず、選挙でわずかばかりうるさかった非日常から少しだけ静かになった日常にまた戻っていく。

このように不特定多数の利害関係者同士による政治的な意思表示として選挙はほとんど機能していない。首がすげ替えられても代わり映えしない状況という雰囲気はただカウントされるボタンを1度押しているだけにすぎないと感じてしまうからだ。なんとなく1を押す回数が多いボタンのカウンタは多く回り、ボタンを押す私たちは結果や過程に介入することはできない仕組みとなっている。なんとなく辛いてなんとなく楽しい日常を、少しだけ楽でもう少しだけ楽しくするために、どうしたら私たちはボタンを押すことができるのだろうか。


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そんなことを考えながらARIMATSU PORTAL; PROJECTで制作したのがこの「ごえんの投票」だ。この投票箱は地域のお祭が開催されている期間中に、通りに面して設置され、まつりの来場者や地域の住民によって投票が行われた。項目は非常にシンプルだ。「わたしが有松でしたいことは」に対して、「暮らすこと」「働くこと」「紹介すること」「遊ぶこと」という4つ項目のいずれかに投じてもらう。投票に参加することで意思表示がまちの方向性を方向づける(ほどのちからはもちろんないのだが)きっかけになるかもしれない。また、この投票箱はお祭りが終わった後も継続して1週間程度設置され続ける。投票結果を見る人たちは、有松という地域に対する期待と自分たちの日常にどのような折り合いをつけていくことができるのか判断しなければいけないことが突き付けられる。問うことで問われる構造を持ったこの装置は、観光戦略を掲げる行政に対する不満を解決することは不可能で、市民対市民の利害関係の調整が必要であるということを露わにする。その時に、エリア内外の市民たちはどのような意思表示をするのか、この結果はどのような行動を引き起こすことに繋がるのかを考える小さな社会実験だ。

この掲示板を貼った背景のひとつには、有松というエリアが重要伝統的建造物群保存地区として選出された*1ことがある。かつて産業地帯だった有松が今では観光都市として転換を迫られている。諸手を上げて喜んでいる人もいれば、このエリアで日常を過ごしていた人からは不満の声も少なくない。また、有松がある緑区名古屋市においてベッドタウンで現在も人工が増え続けているエリアで、日常を過ごす人がとても多い。そうした中で非日常的な観光都市化を市民らが本当に迎えられるのかは未だ判断がつかない。

さて、実際に2日間に設置していたところ、投票数だけを見れば「遊ぶこと>暮らすこと>紹介すること>働くこと」の順番となった。お祭りだったのでなんとなく想像通りだろうか。一方で僕はこれだけ遊びたいというニーズがありながら、遊ぶ場所は現在の有松に多くないなかで働きたいという意思を持つ人がこれほどいたことに驚いた。需要と供給のバランスを考えるとビジネスチャンスはあるのだろう。
さて、このような結果となったのだが街で暮らす人々はどのような判断をするだろう。高齢化によって暮らしにくくなった古民家を次の住民や事業者に貸すことなどはできるのだろうか。あるいはこのニーズに応えるサービスを提供する事業者はでてくるのだろうか。あるいは愛着が高まり手放すことを考え直すだろうか。今年の秋には重伝建に選ばれたことで式典も予定されていると聞くこの有松で、どのような意思表示をする人々が出てくるのだろうか。この小さな実験が意思決定にどのように作用するのか、主体的に街へ関わることを選択する人が出てくるのだとしたら楽しみでならない。

https://www.instagram.com/p/BGUQZffKey6/
並べ直したらこれくらいの量

会議は何をするところ?ー「決定」するところ

日本企業の生産性の低さがニュースに取りざたされる昨今、その要因の一つとささやかれているのが「会議」です。「長い・決まらない・広がらない」会議に、誰もが参加して辟易してしまった経験があるのではないでしょうか。そして次の会議にも同じことが繰り返され、終わらない会議沼地にズブズブとはまってしまうのです…。

 
書店のビジネス書コーナーを訪れるとたくさんの「会議」に関する書籍が並んでいるので、どれか1冊手にとってみて下さい。乱暴に会議の事前準備を要約すると、
  • 前回の振り返り
  • 共有することを決める
  • 決定することを決める
  • 調整することを決める
が挙げられます。
 
そして、このリスト(議事次第)をもとに当日の会議を進行し、
  • 決定事項(誰による裁量で)
  • 懸念事項&宿題事項(誰が、いつまでに)
  • 次回の打ち合わせ日程の決定
を板書や議事録で抑えていきます。つまり、会議でもっとも大事なことは「決定」をすることなんです。決まったことを「決定」するだけではなく、決まっていないことが何かを「決定」する。次にやることを「決定」するのです。
会議における「決定」という機会に関して、私は留学中に最も衝撃を受けたことがあります。それは、「会議で作業はしないで(させないで)。会議は決定をする場よ。」と同級生に言われたことです。ブレインストーミングなど手を動かしながら作業を行う場合は「ワークショップ」をやると伝えるし、議論が必要なら「ディスカッション」をやると伝える。ただ会って話をするなら「アポイントメント」だと、彼らは主張していたんです。
 
話を戻しますが、順を追って会議を進行できれば良いのですが、話の途中で進行を遮って質問や否定をする人が出てくる。そんな頭を抱えてしまうこともあるでしょう。そして、連想ゲームよろしく、議事次第の外側へ話題いくこともありますが、会議が「決定」する場だという認識が薄いからかもしれません。
 
参加者と物事を決定をする「合意形成」の場において、脱線を防ぐためにゴール目標の決定事項を確認するだけでなく、いくつかの予防線を張りましょう。
一般的なものには、
  • タイムテーブルを確認する
  • 時計を目の届くところに置く
  • 話を遮るツールを用意する
などがあります。タイムテーブルの確認は、厳しくしすぎると「決めさせられた感」が生まれてしまうので柔軟に対応しつつ、むしろ、時計やタイマーを設置することで自発的に話を戻せるようなしかけを導入しましょう。また、人数の多い会議で話が発展しすぎたときのために、大きく手を叩いたりホイッスルを鳴らすことで注目を進行に集めることも有効です。
 
最近、合意形成を図るさまざまな場で「ファシリテーター」と呼ばれる人が活躍しています。主にワークショップと呼ばれる場で、アイデア創出を手伝っている人だという認識をされているかもしれません。しかし、ファシリテーション技法には、たくさんのアイデア発散させることだけではなく、さまざまなアイデアをカタチや言葉に置き換える(=決定していく)、収束していく力もあります*1。つまり、ファシリテーション技法は会議のような「決定」を図っていく場でも大きな力となるのです。
 
つまり、会議を決定する場にするためには、
  • 下準備をすること(決定する環境を設計すること)
  • 進行をすること(ファシリテーションをすること)
  • 記録をすること(カタチや言葉に置き換えること)
  • 共有すること(まとめて分かち合うこと)
が大事だと言えます。決まらなかったことを「決定」することは、能力不足や準備不足だと恥じることはありませんし、ダラダラと決定を先延ばしすることもありません。次回までにどうすれば決定事項として「決定」できるのか、誰が何をすればよいのかを考えることが大切です。 
 
関連書籍

誰のものでもある場所を見つけに-裏輪呑み@京都

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先日、京都 木屋町周辺で開催された『裏輪呑み』に参加してきた。入れ替わり立ち替わり総勢20名超が参加した野外飲み会と片付けるにはもったいない経験だったので記録しておこうと思う。
そもそも『裏輪呑み』とは、「新しい骨董」のメンバーらが「浦和」で100均のマグネットつきの棚を「裏返して」野外で呑み始めたことから始まる。

マグネットがつく素材であればどこでもバーになるこの方法。幸いにも街中のいたるところでスチールを使ったなにがしかがある。分電盤?やシャッター、工事中の壁面などに寄生し、即席的にオープンテラスのような場を作り上げることができるのが魅力の一つだ。鉄の壁面やポールを街中で積極的に探す経験を大人になった今、持ち合わせている人は少ないだろう。例外なく私たちもその1人で、「あそこにシャッターがあったよね。」「あの看板はいけそうじゃない。」「だめだ、これはアルミだ。」なんて会話をしながらぞろぞろと街中を探検していた。

日本の社会では公道を占有したり、私的利用することは法律や条令などで基本的には認められておらず、すぐに移動すること (あるいは、咎められたらすぐに逃げ出すこと)が必要なため、地に根ざさないジプシーのような呑んべえ集団である。ましてや、私有地に無断で入ることや器物破損することは許されない。こうして、他者の目から逃れるように、あるいは、注目を浴びることを楽しみながら、次の空き地を目指して20分程度したら片付けては移動を繰り返した。

移動と設置と撤収を繰り返す中で、4つの空間構成パターンを見出すことができた。
①壁面型
工事現場の壁面やシャッターなど一面にずらっと並べる方式。カウンターのようになったり、棚のようになったり。人はその壁に沿うように配置し、人が増えると膨らむように寄生していく。

②櫓〈ヤグラ〉型
A看板にセットするとその周囲をぐるりと囲むように参加者は並び、中心性が生まれる。人が増えると円が増えたり、大きくなったり。明らかに人だかりができるので、1番周囲の視線を集めていた。

③ポール型
電柱や手すりなど垂直方向に伸びる形式。櫓型に比べると向こう側が見えないので、ちょっとした切断が発生する。人数が増えてくるとこの形式で2,3人の集まりができてる場面もあった。

④周囲型
花壇など街中に周囲をゆるく囲み、侵入者を拒む小さな公共空間が存在している。あっという間に侵入を許し、ほとんど機能していない柵や手すりなどにセットする。適度な人数の滞在を迎えてくれるような感じ。中央にはカバンなどが置かれる。

***

このように4つの形式をなんとなく実施できる場所がないか街を眺めていると、イアン・ボーデンが「スケートボーディング、空間、都市ー身体と建築(新曜社)」でスケーターやパルクールなどが都市を地形的に読み替えて都市に介入する試みをしていると指摘したように、裏輪呑みもまた、都市に乱立するビルの植生図に「誰のものでもない空間」を書き加えていくことと言えるだろうか。あるいは、ブラッドリー・L・ギャレットの「「立ち入り禁止」をいく(青土社)」で都市探検家たちが『立ち入り禁止区域を、規制や保証のない完全自己責任の領域とと捉え、都市探検とは権力によって隠蔽された横たわる空間を民主化する活動だ』だと捉えていたように、裏輪呑みもまた、「誰のものでもない公共空間」に対して、「誰のものでもある公共空間」であることを示す活動として捉えられるかもしれない。
そのため裏輪呑みとは、権利的に認められたオープンテラスやベンチで飲食することや花見などでどんちゃん騒ぎをすることとは一線を画す。なぜならそこは政治的に参加を許された領域であり、主体的な利用と民主的な意義は見出せないからだ。

裏輪呑みにおける楽しみの一つに「誰のものでもない場所」を「誰のものでもある場所」に取り戻すことが挙げられるたろう。実際に前者では、私たちが招かざる(騒がしい)ものとしてその場を活用することから排除されてしまうこともあったし、後者では、どこからともなく現れた参加者(ただの酔っ払い)を迎え入れるようにも機能する。
私たちは裏輪呑みを通して、都市の幸を100均やコンビニなどからもぎ取り(購入し)、誰のものでもない、誰でも使える空間を見出し、都市に生活を染み出させることを楽しんだ。開発や計画といった権力から自分の居場所を見出す試みとして、裏輪呑みは非常に興味深い都市活用事例となるだろう。

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30年後から考える伝統工芸

2045年、少子高齢化の進んだ日本国は、細やかな気遣いと地域間の分業によって築き上げた輝かしい時代の産業から遠くの世界に届いていた。これまで1から10の段階を経て仕上げたものを製品と呼んでいたものづくりから、1から6で戦略的に途中でやめるものづくりにシフトしていった。残りの7から10は消費者やクリエイターに委ねられ、生産のシェアが実践されている。全体的な生産人口の減少に伴い、幼少期から生産教育が科目に加わり、図画工作や技術家庭科の授業時間が30年前より圧倒的に増えている。

生産する消費者として活動する人々(プロシューマー)の割合は先進国でもトップクラスとなり、メーカーはこぞってプロダクトアウトからマテリアルアウトへと体制を変更した。ホームセンターよろしくファストファッションブランドはそのカスタマイズ性を売りにし、衣服の部材やらしきものを取り扱っている。このマテリアルシフトの中で特に顕著なのが、かつてBtoBしか行って来なかったメーカーがBtoCに踏み切ったことだろう。この時代に製品として取り扱われているものにおいて、21世紀初頭のプロダクトとマテリアルほど差異がなくなってきていることにある。

そのため、かつては地方の手工業であった伝統工芸の再興が著しい。産業の中でブラックボックス化されていた製造や加工がオープンになり、作り手であり使い手でもあるプロシューマーたちは再び産地付近で生活をするようになった。伝統工芸の職人は相変わらず後継者不足で、問題は解決の糸口をつかめていないが、その年齢や能力でできるなかで生産し続けられるようになったことが大きい。

1から6の段階でユーザーの元へマテリアルが届くようになると、4から10にすることを手助けするようデザイナーの役割も変化していった。最終製品の展開可能性を示すとともに、マテリアルとなる前次元の素材メタ・マテリアルの開発から関わらなければならなくなった。このときに最も作り手と近い距離で製造、対話、試作を行える伝統工芸の世界は重要な領域のひとつとなった。私たち自身が生産に加わる、民主化された生産が伝統工芸のなかで達成されたことで、次の社会のものづくりの可能性が見えてきたようだ。大きな力ではなく小さな力を駆使して生まれる製造の進化を私たちは再び追いかけたい

参考動画