「親切」な情報設計とサービス設計とは

日本人は基本的に優しい。おもてなしの心でなるべくたくさん楽しんでもらいたいし、ひとつでもおおくのことを体験してもらいたいと思ってる。受け手も同様に短い期間でなるべく多くのことを吸収したいと考えている。

 

そのためかひとつのうつわになるべく多くの情報を盛り込むことが求められる。幕の内弁当よろしく、多種多様な素材がきれいに陳列され、ひとつひとつに由来やいわれを持ち込む。なるへくひとつひとつが邪魔をしないように統合的な構造をしているそれは、日本人的な美徳を大いに表しているように思う。

 

一方で、この統合的な美しさや機能には、次にどんな体験を提供しているのだろうか考えてみたい。たくさんのことを吸収したユーザーは、その経験をどのようなアクションにつなげるのだろうか。

新幹線の電光掲示板が7文字であることや電話番号が市外局番を除いて7文字であるように、人間の処理能力はそこまで複雑な情報を瞬時に理解することはできないことが知られている。行政資料は、1枚に資料にたくさんのテキストと図式や表が詰め込まれ、読み手の混乱を引き起こしてしまい、具体的な次に取るべき行動や受け取りたい情報を隠してしまっているとよく批判の的としてやり玉にあげられる。これは、おそらく上司や市民に対面で説明する際の資料がそのまま掲示されているからだろう。

 

対面と読み手、それぞれ異なるユーザーに向けた情報の構造化。紙媒体とウェブやアプリなど、必要な情報の設計が異なることから、メディアによって異なるサービス設計をしなければならない。意匠的なデザインと設計的なデザインを同時に行う「親切なデザイン」は、複雑で非常に難しい。

DMに簡易な地図を入れてユーザーの行動を促すのか、はたまた場所名や住所の記載のみにして地図アプリによる検索から移動を促すのかですら悩ましいのが現状だ。さらに、期待するユーザーを想定しながらウェブサイトやSNSへの導線を考え、そちらから会場への流入を促すのかという検討すらある。

 

「親切さ」からあれもこれもとひとつのプラットホームに情報を掲載することは難しくないが、その親切心がどのような行動を引き起こす可能性があるのかを考え、きちんと思いを伝えるデザインにすること。さまざまなタッチポイントを接続し、統合的な情報設計を行うサービスデザインの果たす役割は、現実/仮想空間関係なくまだまだ大いにありそうだ。

生きる糧と生きる術を生み出すクリエイティビティ

「なぜ?なに?どうして?」は、デザインリサーチャーの口ぐせだ。さまざまな活動の裏側にある「動機」や「本質」を捉えるためには、イエス/ノーでは答えられないオープンエンドな質問を繰り返すことを徹底的に行うことが求められる。学術的にデザインリサーチの歴史は文化人類学的なアプローチを援用することで文脈の理解を推し進められる。時には無邪気な子どものように、眼光鋭い警察のように。「うーん、、」と唸りながらも、普段は言葉にしない無意識の中にある思いをひとつひとつとらえて言葉にするインタビュイーは、まるで「丸裸にされる思いだった」と調査の経験を振り返る人もいれば、「よくぞ聞いてくれた!」と饒舌に人に知られぬ経験を話すこともある。

 

「関係と環境」を起点に始まった活動

先日、お声がけいただいた、「近代建築再生スクール 「旧田内織布 母屋」LE:レクチャー vol.4」では、「まちマネージメント」の視点について有松での活動をお話しさせていただいた。デザインリサーチャー/サービスデザイナーとしての活動を背景に、まだ3年程度しか行っていないゲリラ的な活動「ARIMATSU PORTAL; PROJECT(APP)」を事例に、どんなビジョンを掲げて、誰を対象にどんなアクションをしてきたかを振り返り、そして、今後どんな展開を想像しているかという構造だ。APPの発足当初は、伝統工芸が色濃く残るまちへのタッチポイントがわかりづらいこと、また、関わりを継続的な活動につなげる入り口が見えづらいことを課題としてとらえてきた。有松以外ですでに地域と密接に関わりながら活動を行うクリエイターらをお呼びし、その活動についてお話を伺うことから有松でなにができるか模索することから始まった。登壇者らは地域への熱心な思いとユニークな着眼点もさることながら、さまざまなアプローチによって熱量が徐々に広がり、まちへと参画するパブリックマインドが伝播していることが学び取れた。

 

まちの固有性である流動性×人的資源を再び

デザイナーや建築家の友人らで行うAPPでは、ゲストらの活動事例を参考にしつつ、トークイベントからワークショップや展示、そして草の根的なコミュニティデザインへと展開を進めていった。絞り染色におけるつくる行為とネットワーキングに着目したデジファブワークショップ、地域のオリジナリティを再定義することを目指した「誰のための有松絞り展」や「有松をうばえ!展」、さらに遊休不動産の活用を目指したポップアップショップなどを行うなかで、地域内外の人たちとのつながりや思いを広く共有していくことになった。これらの活動を進めていくなかで、重要伝統建造物群保存地区認定に伴う観光地化への動きが行政を中心に加速していくなかで、我々が間借りする古民家の一部は名古屋市の観光案内所となり、地域内外の声に触れる機会もさらに増えていった。私たちは果たしてどのような暮らしをこのエリアで目指していくのかという議論が過熱していく。地域に多数いる熱心な勉強家や活動者たちと触れ合うなかで、暮らしや産業が隆盛していくときに、出入りする人々が多数いたことや地域内外のつながりや流動性が大きく寄与していくことがわかった。翻って現在の有松を注意深く観察すると、流入人口は増えているものの、大きなインフラに囲まれているものの通り抜け交通として利用されていたり、繊維産業の衰退に伴うコミュニティの縮小、目的地となる商店や飲食店がどんどん少なくなっていることが目についた。改めて、まちの原資に立ち戻り、この流動性と人的資源をどのように獲得できるだろうか。我々が実践すべき次の課題はここにあるように思う。

 

生活スタイルとの建物スケールの乖離に悩まされて

APPでは、「ごえんの投票」を通じて当事者としてどのようにまちへと参画するか投げかけるとともに、それ自体がメディアとして参画を促す仕組みを実践した。「有松でしたいこと」と「古民家で実践したいこと」というテーマで2回の掲示を行うと、遊びたいと暮らしたいが初回は上位に上がり、次の掲示では飲食店と雑貨屋が上位に並んだ。観光地としての認識がやはり強まっている一方で、目的地の少なさに目をつける人々が多くいることがうかがい知れる。また、古民家の暮らしに憧れを抱く層がいることが分かったが、投票をしている人や地域で生活をする人へ聞き取りを行うと「誰に相談すると良いのかわからない」という声に加え、「暮らすには(かつての商屋)大きすぎる」という声も多数得られた。遊休不動産を所有する一部の人たちや町並み保存を応援する人々もまた、貸したいけれどこの課題の前に頭を悩ましているようだ。現代の生活スタイルと建築スケールに乖離があることは想像に難くないが、この地、この建物で行える新たな生活スタイルの提案には至っていない。こうした課題は全国各地の遊休不動産に頭を抱える地域で起きており、その解決方法のひとつとして、エリアマネジメントとして遊休不動産活用を行う現代版家守が注目を浴びている。

 

つくりながら暮らすビジョン獲得に向けて

APPが草の根的なまちへの介入を行う中で、眼前にそびえる大きな課題に直面し、それがまた関係と環境を改善する可能性を秘めていることがわかってきた。しかし、この小さな個人活動の限界も同時に直面しており、再び活動を見直さなければならない時期に来ていると感じている。これまでは活発なクリエイターとその想いに共感する人々を中心に活動を行ってきたが、新たなライフスタイルを有松で実現したいと思える人たちを直視しなければならないということだ。そして、その人たちとともに実現するひとつのビジョンとして、私は「つくりながら暮らすこと」を掲げていきたいと考えている。つくるという行為、それ自体がまちへの参画とコミュニティ醸成のきっかけになることは、これまでのワークショップからも実感しており、昨今のメイカームーブメントからも可能性を強く感じている。さらに、遊休不動産活用による新たな事業創発や地域経済の活発化は、先に挙げた流動性と人的資源を高めるきっかけとして大いに期待することもできるだろう。

 

生きる糧と生きる術を生み出すクリエイティビティ

これまでの試みを通じてAPPは、目的と手段を獲得したクリエイターとの交流を通じて、まちへの参画を促す試みを学んできた。そして、実践してきたワークショップやポップアップショップ、さまざまな展示や実践知の共有は、「生きる術」としてのものづくりや事業運営のきっかけを、「生きる糧」としてこれからのライフスタイルを考える機会を創出してきたと言えるのではないだろうか。パブリックマインドをもつ地域の方々が新たな事業を起こそうと準備を始めていたり、半ば諦めかけていた遊休不動産の活用を実現しようとする不動産オーナーも徐々にではあるが生まれつつある。地域には術と糧を持つ人々ばかりがいるわけではないが、この境界を乗り越えるきっかけとしてクリエイティブが果たす役割はとても大きい。「なに?なぜ?どうして?」から始まった小さな活動から始まり、つくりながら暮らすビジョンの共有と実現に向けた具体的なミッションが見え始めた今、新たな試みを再び初めて行こうと機運が高まっていることを強く実感している。

 

armt.jp

融資は信頼の表われだよ、借金じゃないよ

小学生の頃、お金持ちの親友は駄菓子屋でお菓子を買いすぎるので、しょうがないから一緒に食べてあげていたタイプです。小遣いをもたくさんもらっていたわけでもなく、同級生にたかっていたわけでもなく、ましてやお金を借りるなんてこともしていなかったですね。おかんからは「お金は借りたらあかん」と強くしつけられていて、あれ欲しいこれ欲しいと言っても「ほんまにいるもんなんか」と詰められ、理詰めで諦めさせられていたような記憶があります。(その分、クリスマスプレゼントなどで希望が通るとめっちゃ嬉しかった。)

そんな少年時代を過ごしていたくせに、フリーランスとして活動し始める前、卒業旅行でほぼ全財産を使い果たしていたアホらしさ。気がつくとクビが回らなくなるじゃないかと気がついたのは、個人事業主登録をしてから。融資とか助成金とか、時間はあったのでいろいろ調べたのはいい思い出です。(ちゃんと貯金してから独立した方がいい。特に実家を離れてる人は…。)3年間で返済することを前提に融資を受けたお金も、今年の春先には完済予定となりました。生き続けられて本当に良かった…。

また、「社会包摂の実現」を目指したデザインリサーチを通じて、新規事業創出や事業のスリム化、サービスのブランディング行う中で決算書や事業計画についてどんどん知識がついていき、今ではお金についてはどちらかというとけちくさいきっちりと管理をするタイプになりました。新しいことを相談されたりする時に、予算感や規模感があるかないかで期待度は大きく変わりますよね。もちろん楽しい赤字プロジェクトはあるけれど、それはある意味投資と割り切っちゃえばいいので。

あと少しで完済予定なので追加融資の相談。名古屋と京都の2拠点活動では仕事のやり方を変えなければならず、新しい動きにどうしても必要なのです。多拠点化して1年目の売上が下がったとは言え、返済実績や今後の見込みもカウントしてくれる…はず。とはいえ、融資の金額は事業の見込みを数字化したもの。「この金額をこの期間で返すことができる事業をやれているひとつの証明」みたいなものです。まだローンチしていない、成長途中のスタートアップに投資されるということはそういうこと。不動産とか資産がリッチなわけではないけれど、時間と身体を担保に、実績を加味しながら融資を決めるそうですね。

僕の事業規模や実績では、デザインリサーチの期待値がまだこれくらいなのかと反省もしますが、次の展開を通じて社会的にも経営的にももっと信頼感をあげていきたいなと思います。

嬉しいご報告、デザインリサーチ結果の再活用

右も左もわからぬまま、デザインリサーチャーとしていきなり独立し、「社会包摂の実現」に向けてさまざまな課題に立ち向かう毎日。気がつくと年末を迎えている、なんてことを3回繰り返してきた。2018年5月1日、デザインリサーチャーとしての活動がで4年目を迎える。いつの間にか仕事や自主活動の積み重ねがぼんやりと小道になりかけているような気がしないでもない。あっちへ行ったりこっちへ行ったりする僕を手招きして戻してくれるのは、案外これまで関係を持ってきた人たちだったりする。

 

朝から1本の嬉しい電話。

「1周年無事に迎えられました。これからは体制も変わり、社員も増えます。改めて、デザインリサーチをお願いした時の資料を振り返りながら、今後を見据えた事業の行動指針をつくりたいと考えています。」

2年前に働き方や価値観のデザインリサーチを通じてブランディングを行った、グルテンフリーの菓子製造販売・カフェの運営をおこなう福祉施設の方からだ。順調な動き出しをしているようで、電話口の声にも自信が溢れているようで、聞いているこちらもなんだか元気になる。

 

工房とカフェのリーダー同士で次の展開を計画するにあたり、改めて事業ビジョンを社員で共有すべきだとなったそうだ。その際に、再びデザインリサーチの結果と事業ビジョンをまとめたブランディングマニュアルを見直したいとの思い立ち、わざわざ連絡を下さったそうだ。ドキュメントやマニュアルはつくるまで熱心に議論するけれど、動き出したら使われることは多くはないことが当たり前の世界で、活用したいと連絡が来るなんて!

 

リサーチ結果に再び立ち返り、さらにクライアントが自らカイゼンしていこうとするなんて、こんな嬉しいことはない。目の前の課題はいつだって山積みかもしれないけれど、ひとりひとりがその課題に勇気を持って立ち向かうことを後押しをできるような仕事をしていきたいと強く感じた瞬間だった。

文化人類学者・小川さやかさんから学ぶリサーチとの向き合い方

昨日は、MTRL KYOTOでリサーチ勉強会『不確実さと対峙するためのツールボックス 第1回 「境界線の創造力」』で文化人類学者 小川さやかさんのレクチャー拝聴してきました。アフリカ・タンザニアで「その日暮らしの露天商」を対象とした研究をされていた小川さんの書籍を読んでいたこともあり、文化人類学を援用する歴史を持つデザインリサーチを実践する身としてとても楽しみにしていました。ずる賢くもあり、茶目っ気もある狡猾さ(ウジャンジャ)の話がそれとしてめちゃくちゃ面白いのは言うまでもなく、フィールドワークへ出る際の下準備や調査シミュレーション、モードの切り替えなど、得るものがたくさんありました。


文化人類学が切り取るオルタナティブでもありどこか身近な社会
文化人類学のように長期間フィールドへ滞在する事で見えてくる顕在化されていない社会の片鱗は、身体にこびりついた私たちの社会常識を削ぎ落とし、改めて人間とは何なのかを考えるきっかけを与えてくれる学問であると改めて再認識しました。タンザニアの事例のように生きる術と生きる糧を身に付けた露天商がずる賢く人を騙したり、そっと誰かを助けてあげる優しさは、どこか非日常的な人情劇のようでもありますが、私たちの生活でも経験したことがあるような気もします。日本において、最新のテクノロジーやサービスを利用して生活している私たちではありますが、遠いアフリカの話からSNSクラウドファンディングを思い浮かべてしまうような事例も。


創造行為もまた対象とするデザインリサーチ
研究の内容や実践をとても興味深く拝聴した一方で、デザインリサーチとは少し異なる視点があることもわかりました。1年以上フィールドワークへ出る研究に対して、クライアントワークで3ヶ月以上のデザインリサーチは、金銭的・納期的な理由で理解が得られることはあまりないのが実情です。プロジェクトについて話をすると、「3ヶ月もリサーチにかかるんですか?」と言われることもしばしば。フィールドノートの作成、映像や音声を分析、後から追いかけようとすると作業時間が倍々に増えてしまいます。また、仮に1年以上フィールドへ赴き、新たな新規事業創出をしたとしても事業の成功が確約されているわけではないため、クライアントが長時間のリサーチを不安がる気持ちもわかります。その際に、デザインリサーチでは、短期間のフィールドリサーチで得られた洞察を言語化し、プロトタイピングを通じてすぐに検証していきます。この繰り返しにより、実社会とのコンフリクトを少しでも早く理解し、より効果的なあり方。省察的にリサーチしていきます。このように、デザインとリサーチを切り分けて考えるのではなく、「デザインを通したリサーチ」を行い、デザイン自体もまたリサーチの対象としてフィードバックを得ていくこと。フィールドワーク→プロトタイピング→フィードバック→ワークショップ…と繰り返し、課題と可能性を実証・改善していくデザインスプリントリーンスタートアップなどの手法を用いていくことが、デザインリサーチと文化人類学との異なる点だと考えられるかもしれません。


オルタナティブな社会を描くための日常的な思考の必要性
デザインリサーチにおいて、現実の社会を切り取るだけでなく、試作的なビジョンも描くことが求められるため、オルタナティブな価値観に躊躇なく踏み込む姿勢も大切です。小川さんはのレクチャーでは、日常でふと疑問に思う小さな事象を記録してみたり、自分も実践してみたりする研究者の立場で『実践 日々のアナキズム――世界に抗う土着の秩序の作り方(岩波書店)』を参照しながら、誰もが来るオルタナティブな社会に臨む姿勢を培う「アナキスト準備体操」が大切なのだと話されていました。 不確実な社会を省察し、未来のビジョンを掲げ、より具体的なシナリオを描き、さらにそれをまずは実践してみる。そして、それらを全て省みる。リサーチャーとしての視点と当事者としての視点など、複数の人格を使い分けながら、オルタナティブな社会を記録していく文化人類学者という職能はなんて挑戦的なことでしょうか。 ベテランの文化人類学者がいつまでも他者としてフィールドへ出向くように、デザインリサーチャーもまた経験や勘をかなぐり捨てて毎回初めての時のように臨む姿勢は大切だろうと再認識しました。その上で、私たちデザインリサーチャーがプロジェクトのたびに培ってきた勘や経験を表出していくこともまたとても重要な事ですね。

次回は全盲文化人類学者!?のレクチャーを検討しているようなので、今後の展開がとても楽しみです。

都市を生きぬくための狡知―タンザニアの零細商人マチンガの民族誌―

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