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課題のこと、超線形設計プロセスを経て

課題が終わりました。
超線形プロセスを用いることで新たな発見や見落としていた部分や問題点など思わぬ報酬となりました。
がしかし、自分の提出した”モノ”は十分に納得できず、最終的には提出することにとどまってしまったことが残念である。

今回は挑戦的に課題に取り組んだ。
1.超線形プロセスを用いる。
2.CADやCGを使う。
3.プレゼンシートのデザインをする。

1.については春休みの間に建築合宿で学んだことが面白かったので実際に課題に取り組んでみようと思ったからだ。
超線形設計プロセスについては各自で検索していただければと思う。

建築合宿の時に感じた「ボリューム形成に至る手順への迷い」については今回はあまり感じず、スムーズに入れた。
ほとんどない周囲のコンテクストが合宿の敷地条件と似ていたためではないかと思っている。
合宿の時の方が情報あったんじゃないの?というくらいだ。
そのため先生の中には公園を実際にある公園から選ばせたり、集合住宅を設計せよなどとコンテクストをはっきりさせる傾向があったが僕らのところは指定なし。
イメージするな、の原則通りに僕はとても病院と道路と公園と集合住宅があるという文字情報のみ受け取って環境についてはあえて考えなかった。

ガシガシとスタイロを切っては置いて、情報のあぶり出し。とやっていくときに新しく分ったことがあった。
必要面積がボリュームに付随するべきか否か。
建築で考えるなら当然するべきなのだが、超線形的に考えるとそれはプランニングにあたるためボリュームの決定時にはそこは考えるべきではないと僕は考えていた。
ところが、最近の藤村さんのブログではそうではないことがわかった。

roundabout journal
http://www.round-about.org/2009/04/post_95.html
必要な要求面積(100平米前後、最低90平米)をきちんと取った人は少数で、ほとんどは80平米台。
ひどい人は70平米しか取っていない人もいた。
立ち上がったボリュームの分節を工夫するとか、条件のなかで建築的な想像力を膨らませられた人は少ない。
条件のなかでイメージを膨らませる思考を訓練しておらず、イメージに条件を合わせようとする思考だということがよくわかる。
(教育と創作、作家と教育者より一部抜粋)


とあるように、必要面積、要求面積もボリュームの決定要素の一つと成り得るのだ。
そのことをなかなか気が付けずにいたので後のプランニングで大いに悩んだ。
プランニングの際にボリュームを進化させる、情報のフィードバックという点について。
僕が行ったのは上記の必要面積を入れ込むために諸室となりうるボリュームを肥大化させていくという方法だ。
もちろん単純に大きくするだけでなく、通路として必要な部分を出すためだとか超線形をたどったつもりである。
ところがその部分を大きくすると当然上下の階も大きくなりデッドスペースが生まれるという結果になり、そこを訂正しようとすると初期設定のボリュームの特性が失われる。
結局、次の一手が明確に出せずにそこを詰めれないまま提出をした。

建築物を創造する時点であまりにも形式に頼りすぎてしまった点が反省すべきだと思った。
超線形と言ういわゆる道具を使って僕の持つ個性を出すべきなのだろうがその道具に振り回されてうやむやになってしまった。
その大きな理由は意外とスピードにあるのではないかと思う。
超線形設計プロセスは非線形的な思考よりもスピードが出ると藤村さんはおっしゃっていたが、今課題ではそれは感じられなかった。なぜか?
僕はこのプロセスをすべて一人で請け負っているからだと感じた。
合宿の時は分業的に物事を進め、時間的制限を設けるという客観的な制約を設けたため提出まで至ったのだが、個人で行う場合にその制約が失われる。
一つ一つの手順をしっかり積めば積むほどスピードは失われる。
また、別の問題もある。
遅延からスピードを上げようと思えば思うほど客観性は失われ、個人的な感性に左右される。
提出数日前に先輩に言われて気がついた。などと恥ずかしくなる思いもした。
手法を意識しすぎたため、その手法を生かすことができなくなるといった矛盾を終わった今に感じる。
それでは、どう個人でその問題を解決するのか。
一つは1ステップの間隔を調整する。
単純に飛ばすだけだと本来通りとなってしまうので一歩の幅を調節することでスピードを出せるのではないか。
この時にジャンプしていないか、客観的に見れるように努力すべきだと思う。
分りきっていることを一つ一つ出していくことの大切さは感じたが、そのために模型を作っていくと1時間なんてあっというまに経つ。
その時間的制約が超線形の足取りを遅くしているならば良さが半減してしまうのではないか。
行きつく先に良い建築があるのかもしれないが、今回の僕の案はあまりにも中途半端だった。


今回感じたことを次の機会へ生かし、もっと面白いものができればと思う。