ケンチクとウンチク
どれだけ造形的に、身体的に、社会的に素晴らしい建築であるかを知ることが、
造形的に、身体的に、社会的に素晴らしい建築を体験する情報量に勝ることはない。
では、なぜ僕たちは造形に理由を求めるのか。
なぜ人に伝えようとするのか。
誰に伝えようとするのか。
僕らは建築をつくるものたちに向かって語りかける。
だから当然、建築の議論は閉じた議論。
知りたい人だけが知ればいい。
輪に入りたい人だけが入ればいい。
彼らは体験だけすればいい。
その体験が悪ければ、彼らは不満を言う。
良ければ何も言わない。
すごく良ければ彼らはほめてくれるだろう。
僕らはそんな空間を作ればいい。
楽しめる空間をつくろうと思う、ウンチクを添えて。