ArchitectAfter1995を通して考えること。

ArchitectAfter1995
WEB:http://www.oct.ac.jp/topics/2009/10/architecture-after-1995.html
大阪工業技術専門学校でArchitectAfter1995というイベントがあり、展示のほうは17日まで行われています。

<展示の一例。95年以後の住宅模型群。>
そのイベントの目玉である3回のシンポジウムが大阪工業技術専門学校で行われ、シンポジウムは95年、00年、10年以後を考えるというテーマで語られていました。
僕はこのシンポジウムでTwitter上で実況を勝手にやらせていただきました。(#aa95)僕のIDであるynbrから、シンポジウムの内容を追っていただけたら幸いです。
※なぜか検索に引っかからないのですが、解決策を見つけました。
TeamRoundAboutの藤村龍至さんを筆頭に、社会学者の鈴木さんや評論家の五十嵐太郎さん、そして展示されている30代若手の方から50程度の中堅建築家の方が喧々諤々語り合っていました。
このイベント一番のテーマは「(これからの)社会を取り巻く環境の変化に建築という立ち位置でどうしかけていくのか」ということではないかと僕は感じます。ゼロ年代の建築家の方々の設計プロセスの開示は、今の状況へしかけているリアルタイムの証拠であると感じました。僕らの世代としてはより先細りしていく建築業界、変化していく社会状況に建築の立ち位置からどう提案できるか。よりメタな視点では、そもそもどうやって提案するのかすらも考えなければいけないと思いました。
最後のミーティングで梅林克さんの「建築家の活動はより政治的になることが求められるだろう。」という言葉がずっしりと響き、さらに、打ち上げのときに森田一弥さんの「バルセロナは建築ができるやつこそ行政へ行くんだ。」という話が今日一日、頭の中で反復しています。

僕はまちづくり系のゼミにいます。
まちづくりのワークショップは住民の情報をくみ上げる役割で、そこで得た情報を行政やURに提出、提言しています。その活動にはすごく意義を感じていますが、やはり行政⇔地域の溝は否めません。そこを少しでも埋める存在として建築家やまちづくらーの存在が今後より重要となるのではないかと僕は思っています。
もし、建築家という職業が設計士としての活動だけでなく、より懐が広くなっていくならばこのような活動、コミュニティデザインすらも建築家の職業となりうるかもしれません。

このイベントを通して、今の現状をしっかりと見て、10年代の僕らがどのような活動ができるのかを考えるいい機会となったことは間違いありません。最後のシンポジウム後の打ち上げでは思いの内をプロの人たちにぶつけることもでき、激励や叱咤を頂きました。納得できることも、そうでないこともあったけども、置かれている現状や考えなくちゃならない問題は変わらないです。そこに気がつかないことも、目を反らすことも適切とは思えません。
僕は今の置かれている状況をできるだけ読み取り、楽しみ、そしてアウトプットしていきたいです。
さらに言うと、この思いを少しでも多くの人と共有していきたいなと思います。