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多様性を孕む評価のあり方、フィンランド留学から


あっと言う間に年の瀬になってしまいました。僕は(後日記事にする予定ですが、)12月中旬から11日間ほどエジプトへ太陽を求めて旅行へ行っておりました。フィンランドはホワイトクリスマスとなり、今もしんしんと行きが降り続いています。ただでさえ人通りが少ないのに、新雪があしあとを消してしまい尚更人の気配感じさせないクリスマスで、日本との違いを改めて感じます。スーパーもクリスマスはお休みで、これは欧州はどこも同じようですね。フィンランドは父の日もスーパーが休みで、その理由が「働いている人がお父さんに会えないのは不公平だ。」ということらしく、きっとクリスマスも働いている人が家族に会えないのは不公平だからお休みなのでしょうか。文化の違いはとても面白いです。(写真は雪がふる前のヘルシンキ市内のモニュメント)

日本とフィンランド、評価方式の違い

さて、話を本題に戻します。1セメ、2セメとIDBM(=International Design Business Management)そしてCS(=Creative Sustainabiblity)の授業をとっていたのですが、幾つか評価が返ってきました。もうだいぶ前に返ってきていたのもあったのですが、それらを踏まえて感じたことを書こうと思います。以前の記事でも書きましたが、アールト大学で驚いたことの一つに、プレゼンテーションが基本的にポジティブに評価されることです。内容、表現、切り口なんでもいいので褒めれることがあれば必ず褒められますし、コメントが貰えます。これは教授だけでなく見ている生徒もです。教授がそういう雰囲気を出すので生徒たちも意見を言いやすいのかもしれません。時々本筋とは関係ないコメントも出るのですが、それらも含めて意見を言いやすい(批評しやすい)環境を作っていると思います。日本では粗探しというか、ダメなポイントを探して、時には重箱の隅をつつくような辛辣なコメントを貰うこともありますね。時々、生徒が泣くなんていう場面も少なくはありません。一体どうしてこんなにも違うのでしょうか。

欧州の成り立ちと許容性

一つに、欧州的な多様性の文脈があると思います。工業化以降、大量生産ができるようになりこれまで以上のユーザーにプロダクトを届けることが出来るようになりました。そのため、標準規格というものが生まれ、モデルとなる人格や寸法が製造過程において重要となってきました。アメリカ人インダストリアルデザイナー、ヘンリー・ドレイファスは『ザ・メジャー・オブ・マン』という人体測定の研究結果を発表し、なるべく多くの人にリーチしようとする試みを行い、後にユニバーサルデザインへとつながっていきます。アメリカナイズ、標準化、グローバル化は雑多な世界から理想を抽出しそれを適用させるよう努めて来ました。一方、欧州ではEUとして集団性を高めていく中でそれぞれの文化や能力を有した集団の摩擦を回避する必要がありました。同時に異なる環境のもとで様々な思想や活動を寛容する環境を構築する必要があったのです。つまり、違う文化圏の中で共有できるものを見つけていく、そういう過程が欧州では評価に寛容さが含まれていったと言えるのではないでしょうか。

『イイね!』とその注意点

翻って、授業の評価も同様のことが言えそうです。欧州諸国だけでなく、アジア諸国から集まった学生、さらにデザイン・エコノミクス・エンジニアという異なった学術領域が集まったIDBMやCSはこうした多様性をどう許容していくのか、が授業でも繰り返し話されてきました。その時に、減点方式で、ある標準化された評価から減点していく方法ではこの差異を許容することができないのではないでしょうか。そのため、『イイね!』を様々な領域から獲得する、どれだけ共感可能性が高い(=多様な価値観を孕んだ)プレゼンテーションだったのかを図っているのではないかと思います。国際化を狙うアールト大学らしい、欧州らしい評価方式の授業は学生も自信をつけるのに繋がり、授業の雰囲気も高いものとなりその有効性を感じています。ただし、一つ一つのコメントのクオリティはまばらですし、批評性に気がつく資質が学生にも求めらるため、ただ褒められたことだけが残る可能性もあるので注意が必要だなと思うところです。

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)

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多様性とイノベーション―価値体系のマネジメントと組織のネットワーク・ダイナミズム

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