きゃりーぱみゅぱみゅのMVからみる虚構性に関する考察


きゃりーぱみゅぱみゅ - インベーダーインベーダー,kyary pamyu pamyu - Invader Invader ...

きゃりーぱみゅぱみゅの新曲が2013年5月6日に発表された。ダブステップベースをブレイクで採用している点やキャッチーなフレーズを繰り返すなど楽曲の内容がさらに国外に向けてのものになってると感じる。それは楽曲だけならずライブを意識したダンスにも言えるだろう。現在、きゃりーぱみゅぱみゅは国外ツアーで多忙な中、このMVが撮影されたそうだ。*1今回のMV演出・監督も田向潤氏によるもので、中田ヤスタカ☓田向潤☓きゃりーぱみゅぱみゅのタッグが独特のKAWAII世界観を作り出している。

PONPONPONではサイケデリックな映像とミスマッチするようなKAWAIIものであふれたドールハウスのなかでアイドルとして振舞うきゃりーぱみゅぱみゅと覆面のふくよかな体系の女性(の格好をした)ダンサーが踊っていた。世界中でその映像作品が再生され、多くの作家やミュージシャン、そして普通の人たちを虜にした。彩色、装飾、ファッション、舞台は先述した田向氏がきゃりーぱみゅぱみゅの意向を取り入れつつ構成している。きゃりーぱみゅぱみゅとして処女作のPONPONPON MVについて田向氏は、

きゃりーちゃんの顔がピンクになっている場面は彼女の脳内世界。前半は現実と妄想の世界をカットで割っているんですけど、後半になるにしたがってどんどんそれらの世界が混ざっていく流れとなってます。ーきゃりーぱみゅぱみゅ、原宿から世界を席巻!? 田向潤監督が明かすMV「PONPONPON」が出来るまで!! | white-screen.jp

と説明する。この現実と虚構が交錯していくような映像にきゃりーぱみゅぱみゅの魅力が詰まっており、現実と虚構が同居する存在こそがきゃりーぱみゅぱみゅなのである。何度も繰り返して使われる幾何学模様、どろどろと融け合うビビッドな色使い、チープそうなおもちゃによる装飾、そして、徹底的に正面を意識した舞台装置。表(装飾)と裏(素地)を分けて描きながら表も裏も同じ世界の上にあるということをきゃりーぱみゅぱみゅの映像作品では浮かび上がらせる。『アイドルは処女で純白である。』というイメージとは似つかわしくないのは、きゃりーぱみゅぱみゅがファッションモデルから始まっているからだろう。

キッズモデルからキャリアを始め、読者モデルからファッションモデルとしてその地位を積み上げていく間に、きゃりーぱみゅぱみゅは"ドール"になろうとする試みと"アイドル"になる試みをしているように思う。"KAWAII"存在である私すらも演じる、着飾られる存在としてのファッションモデルを続ける上で、衣装を纏いキャラクターを使い分けられるようにならざるを得なくなっていく。きゃりーの人気がきゃりーをよりきゃりーとして強調する。ただ、彼女はそうしたドール化を迎合するだけではなく、ドール化を研ぎ澄ませ新しいキャラクターを自分自身に埋め込んでいく。その中で心を持たないドールでも、自我を訴える人間とも違うKAWAII存在になっていく。人間の表面に幾十にも記録された意匠の組み合わせを纏うきゃりーぱみゅぱみゅは有機物から無機物へ移行する間に発生した不気味谷のような存在だ。


きゃりーぱみゅぱみゅ - CANDY CANDY , Kyary Pamyu Pamyu - YouTube

セカンドシングルCANDUY CANDY MVの冒頭で、きゃりーぱみゅぱみゅは食パンを咥えながら郊外住宅の前を走る。アイドルの衣装を着たまま食パンを咥えて走るマンガ表現"らしさ"*2が、反復する郊外住宅の中で起きている。スタジオに到着したきゃりーぱみゅぱみゅは舞台の上で踊り始めるが、照明は舞台だけでなく背景のスタジオすら明るくする。そして、その背景さえもカメラはしっかりと収めている。偽きゃりーぱみゅぱみゅを蹴り飛ばすシーンはアニメーションを採用するも劇画タッチで本人とも似つかわしくない。舞台もアニメーションも視聴者の視線は正面を向き、その眼前には可愛いアイドルだけでなく隠したくなるような現実も同時に映している。現実と虚構のどちらがどちらを強調しているの変わらなくなるほどモチーフはひっそりとそして繰り返されている。その巧妙さに視聴者は惑わされている。

ようやく今作の『インベーダーインベーダー』のMVに話を戻すが、今作では現実と虚構の交錯がカメラワークに現れている。これまで同様にはっきりとした画面の切り替えやきゃりーぱみゅぱみゅを中心としたシンメトリックな構成にしながらも、ブレを取り入れている。その画面のブレが主観型シューティングゲーム、ファストパーソン・シューティング(FPS*3この切り替えがゲーム画面を見ているようで、私はちょっと映像酔いしてしまった。現実の映像でありながら虚構の世界のような様相をも持ち合わせている。この撮影は人間がパンを降っているのか、機会制御なのか、映像編集でつくり出されているのか私は知る由もない。

きゃりーぱみゅぱみゅのMVでは『現実があるから虚構が構成されているのか、それとも虚構があるから現実が構築されているのか』分からなくなる。安っぽいダンボールが舞台道具に使われてるなかで宇宙との交信を図るストーリーも奇想天外だ。しかし、新世紀エヴァンゲリオンを通して庵野秀明氏が『現実へ帰れ』とオタクを諭した時と違い、きゃりーぱみゅぱみゅのMVでは現実へ帰れとも虚構に生きろとも言わない。現実が虚構のようであること、虚構の世界が現実を反映していることを伝え、それを楽しんでしまおうとしている。多く表出した虚構の要素と散見される現実の要素が混ざり合うことは、是非を決めるということでなく、どちらも同時に存在しているということを悟らせる禅問答のようにどちらかが仕組みとなっている。カメラワークの他に、1:00ほどに女装したダンサーが切り取られるシーンがあるのでぜひ注目したい。この女装もきゃりーぱみゅぱみゅの映像ではよく出てくる表現なのだが、この一瞬は男の娘に対して冷酷すぎる現実を告げると同時に、同性愛者の存在がいることを突きつけているようにも感じる。性別のあやふやな存在すらもKAWAIIと愛でている。よく見ないと分からないが、すぐに感じ取る違和感。

そうしたしかけが沢山仕込まれていて、YOUTUBEきゃりーぱみゅぱみゅのMVを見ることで禅問答をしている若者たちや熱狂するKAWAII好きな外国人がいる。インターネットの人格と現実の私、様々なメディアとなる中心的な身体と多中心的なメディアと共存する私たちはこうした禅問答の答えを自然とだしているのだろう。色鮮やかで曖昧なこの世界を私たちはどこかで共有し、現実に絶望するでも立ち向かうでもなく過ごしているのかもしれない。きゃりーぱみゅぱみゅは救世主でも象徴でもなく、MVはそんな彼女を遠くて近い存在として映し続けるのだろう。


おまけ
インベーダーインベーダーを見ながら思い出していたのはDaftPunkのAround the WorldのMVでした。

Daft Punk - Around The World - YouTube

希望論―2010年代の文化と社会 (NHKブックス No.1171)

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絶望の国の幸福な若者たち

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*1:きゃりーぱみゅぱみゅ、世界で大注目の新曲「インベーダーインベーダー」MV解禁! - 音楽ニュース http://okmusic.jp/#!/news/21623

*2:田畑氏のコメント引用 "きゃりーちゃん自身はアイドルではないんですが、だからこそ逆にアイドルをパロディするっていうことをやってます。本当のアイドルだとこれは出来ないので。 "ー [http://white-screen.jp/?p=15347:title=今度のきゃりーぱみゅぱみゅは80年代アイドル! 田向潤監督による「ザ・ベストテン」風のMV「CANDY CANDY」 | white-screen.jp]

*3:アメリカ陸軍に酔って企画開発されたFPSゲームで人気のAmerica's Army. 映像だけでなく行動などの再現度も非常に高いことで有名。 http://www.americasarmy.com/