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オランダ・アムステルダムで撮影されたドキュメンタリー"Creativity and the Capitalist City"が映しだす創造都市とは

Creativity and the Capitalist City [Japanese] from creativecapitalistcity on Vimeo.


先日、ライプツィヒでお会いした大谷さんが日本語の翻訳責任を務めたドキュメンタリーを紹介していただいた。このドキュメンタリーは、アメリカ経済学者リチャード・フロリダが提唱した「創造都市」がなぜ世界中で注目を集め、都市政策として試行されているのかをアムステルダムの活動を中心に記録し、2011年に公開されたものだ。そしてつい先日、大谷さん監修のもと日本語字幕バージョンがインターネット上で公開された。

映像は1.CREATIVITY AND SQUATTING、2.CREATIVE SECURITY: SQUATTING VS. ANTI-SQUAT、3.INSTITUTIONAL CREATIVITY: BREEDING PLACES、4.WHAT HAPPENS WHEN THE HYPE IS OVER? THE RIGHT TO THE CITYと四つの章で構成されている。SQUATとは直訳すると不法占拠のことで、空家や有給不動産に契約なしに「住む」ことをいう。戦後の住宅不足や急激な不動産価格の高騰により住居を得られないもの、職場を得られないものが空いている建物を占拠し、生活を始めたことから始まる。個がネットワークを生み、経済や文化が生まる。魅力的なものがあるため人が集まり経済効果が巨大化したことが評価され、後に合法化される。イギリスやオランダでは一年以借り手のつかない不動産に「スクォット」することは法で問われなくなっている。

スクォットは都市に好ましいことばかりもたらすのだろうか?政策として創造都市戦略が選択されるが、警察や不動産は管理が行き届きにくくなり、犯罪の温床になると嫌う。第二章では、やっかいな侵入者を合法的に迎えるための不動産仲介業者の活動が紹介される。スクォッターらは、「安価」で「広いスペース」を求めてくることを逆手に取り、空いた不動産の「住み込み」管理者として契約をするようにした。不届きものが侵入したり建物を破壊するようなことがあれば彼らは不動産業者に連絡をする義務を与えられ、その建物内に「住み込む」権利を手に入れることができる。立退きを強制されたりする不安定なスクォットとはまた別のアムステルダムで生活をする方法の一つだ。どちらも不安定な生活スタイルに違いないが、創造性を都市にもたらす者が都市から追いやられている現状が伝わってくる。創造都市戦略は、創造性を都市に呼び込むことを謳いながら、実際には創造性の作り手を締め出すという矛盾を孕んでいる。

こうした矛盾を解消しようとアムステルダム市は「育成所」と呼ばれる空間をアーティストらに貸し出すことを決める。映像では2000年に開催された造船上跡地の利用に関するコンペティションで採択されたアーティスト村が紹介される。自身もアーティストであるBart Stuartがインタビューの中で、「造船上の建物自体は買うことはできても我々を買うことはできない」と言う。つまり、創造都市の価値とは、不動産にあるのでなくそこに住む人々にあるということだ。無計画さから生まれた空間を計画するという選択が政策に求められている。その解答の一つとして、アムステルダムのウェアハウスエリアに注目が集まる。

戦後の住宅供給難に始まり、ヒッピーらによる革命思考と結びついたスクォッター運動は、近年において創造都市戦略と結びつく。しかしここで言われる戦略とはつまり、資本主義社会における経済戦略のことであり創造階級と呼ばれる人々やそのための土地をどう確保していくかという持続可能な社会制度設計とは離れている。不動産戦略として、文化広告戦略として創造都市の創出がいかに矛盾を貼らんでいるかがこれまでの章で明らかだ。バンクーバー大学で地理学を教えるJamie Peck教授は、創造都市政策は不平等さを正当化する点において新自由主義となんら変わりがないと指摘をする。「都市を市民に取り戻す」というような方向で取り組む必要があるときに、計画を超えた計画、計画をしない計画に人々がどのように参画することができるかを突きつける。

映像では、都市のステークホルダーとして利用者からサービスプロバイダ、行政までインタビューが記録されている。言うまでもなく、トップダウンボトムアップかという話ではない。いかにこのステークホルダーが自由に平等に何時でも参加することができ、それを効果的に反映することができるかということだ。民主主義2.0のように流動的で巨大なデータのなかで立ち上がる社会を待つわけでもなく、革命を起こすべく立ち上がるわけでもなく、ただ現実的に粛々と活動を起こすアクティビストのインタビューが個人的に突き刺さる。理想に飲み込まれるわけでもなく、活動の中で周囲を取り巻く様々な社会との距離を図る姿は現代社会に求められるデザイナー像と重なる。非常に刺激を受ける内容で、私自身も批評的に活動を継続していきたい。