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落ち葉から見える街の流量

3ヶ月ぶりに東京を訪れた。クリスマスムードが漂うこの街はいたるところにツリーや電飾があり、とても賑やかだ。街ゆくカップルの楽しそうな表情や週末にもかかわらず厳しい表情で身をスーツに包んだサラリーマン、カメラを片手にシャッターチャンスを全て押さえようとする訪日観光客たち。その間を縫うように歩きながら幾つかの展示場を廻る僕。

原稿作成をカフェで行ったのちに、新宿伊勢丹でのNIEESINGの展示、渋谷ヒカリエでGoodJob! 2015、アーツ千代田でのD-Lab Design Questionsを見て回り、先々で会う人たちにとんぼ返りなのをもったいながらJR秋葉原駅を目指している時にふと気がついた。上を見渡すとアニメの大きな看板がこの街の側面を表しているが、ふと足元に目を向けるとたくさんの落ち葉がある。いや、もう少し正確に記述すると「踏みつけられて細くなった」落ち葉だったものがある。

1日にたくさんの人々がこの道を往来し、お目当てのお店やアイドルやメイドに会いに行くのだろう。たくさんの足がイチョウ並木からはらはらと落ちてきた葉を踏みつけ、潰し、細くしていく。店の前から車道の方に蹴られて寄った葉っぱの断片はこの街が許容する人の多さを物語っている。とてもとても小さくなり、人の動きに合わせてサラサラと動いた葉っぱだったもの。

週の2, 3日を過ごす名古屋の事務所では、到着した時にまずは事務所の前の掃き掃除を行う。その時にちりとりに集められた落ち葉のほとんどはそのままの形をしている。夜間の通行車両か風に吹き飛ばされ、朝の通勤通学に巻き上げられた落ち葉は半分に割れているか、ほとんど落ち葉の形を保っている。もちろん、日中に事務所の前を歩いている人々はまばらで、土日でもたかが知れている。

我に返って落ち葉の断片から目を上に上げると、やはりクリスマスと電気・アニメ街らしいカラフルな街中を闊歩するたくさんの人々。粉々になった落ち葉から、街の輪郭と街が許容する人の流量の違いを見せつけられた思いだ。見落としがちなカタチが何かを物語っていることに改めて気がついた瞬間だった。