卒業設計(の手伝い)で考えたこと。 / POINT展へ行ってきました。

卒業制作のお手伝い。
京都工芸繊維大学造形工学建築専攻の学生は1回生のうちから手伝いをすることがいつからか慣習化している。僕も例に漏れることなく1回生から先輩の手伝いをしている。毎年、手伝いをするたびに何かしらの発見がある。技術的な面は当然に、コミュニケーションなどの人間関係など。それがポジティブな場合もあればネガティブな場合も。卒制の手伝いにおける教育的な側面に対してはいい機会だと思う。
一方で、この慣習化から「手伝わせることが当たり前」で「手伝うことが当たり前」となっていることで悪い面も感じる。手伝わないことが悪いことで「空気の読めないこと」となってきているように。
手伝いというのはあくまでもボランティア活動である。僕たち手伝いは共同体ではあるが共同者ではない、当然本人でもない。無理な徹夜は生産性が落ちるし、健康も損なわれる。「がんばればできる」は一見努力家のようにも思えるが、定められた時間内に収めるスキルのほうが大切なのではないだろうか。特に卒制の最後の1週間は泊まり込みの人間が多かった。三回生の中には体調を崩しながらも尽力していた人もいる。その努力は尊敬するし、否定されるものではないがそれを強要しているこの今の現状に対しては以上の見解から批判的な立場を僕はとりたい。
また、学内受賞者をみていると健康そうな人が多かった。最後に徹夜していたかもしれないが、これはつまり、当たり前にできることを構築して行った人間が評価を得たと言っても過言ではないと思う。
今回の卒業制作(の手伝い)を通して僕はそんなことを思った。これから一年間、僕たちは社会へ出るためのスタートとなる卒業制作を始めるわけだが、きちんとログを貯めて卒業制作への礎はきちんと気づいていこうと思った。



本日の午後から京都芸術センターで開催されている「POINT ─日韓若手アーティスト・批評家 交流展」へ行ってきました。芸術と建築の関係性に興味を持ち、2回から3回生にかけて芸術系の書籍をいくつか読んでいました。今回はその延長として。
展示の概要は以下。展示作品等については公式blogからどうぞ。

<POINT2010概要>
韓国・国立現代美術館が運営するチャンドン・アートスタジオとオルタナティブ・スペースLOOP、そしてキュレーターの住友文彦の共同プロジェクトとして行われた「POINT2008」展(会場:LOOP)の継続企画として、この度、京都芸術センターにてPOINT展を再び開催致します。本展では、日韓の若手アーティストが、一つの場に集まって作品を展示することを重要と考え参加アーティストが、自国ならびに他国の批評家・キュレーターとの国を超えた交流を行うことで実現した、国際ネットワーク・プロジェクトです。京都という芸術の歴史が息づく場所で、アーティストたちが異なる国や地域の創造に出会い、批評の交換を通して互いにコミュニケートし、刺激しあうことができる、そんな機会となることを願っています。POINT 2009から一部抜粋)

先日、大学にてキュレーターの住友文彦さんがいらっしゃってました。僕は別の授業があったので拝聴できなかったのですが、聞いていたらもっと楽しめたのかと思います。現代アートの解釈について、僕はあまり分かりません。どこまでがアートなのか、わかりません。だからこそそこにある展示物ひとつひとつを楽しもうと常々思っています。
その中で興味を引いたのは映像作品のひとつと鉛筆画。映像のほうは現代ダンスとなるのでしょうか。不思議な出で立ち舞っている。どう表現したらいいのかわかりませんが真っ白な空間の中で少なくとも彼女が動くことで空間が生まれ、創造されていったように感じました。鉛筆画のほうはドローイングとして。用紙全体にまんべんなく描かれている作品があったのですがその中での強弱の付け方が面白かったです。
会期はあまり長くありませんので興味をもたれた方は京都芸術センターへ足を運んでみたらいかがでしょうか。



us/itからhecticPOSSEについてのインタビューを受けました。(自己申告してインタビューしてもらったのですが笑)
―us/it とは
オープン且つフラットな議論/批評を行うアーキテクチャを不特定多数の人間によって作りあげ、ログを残す。更にはそのログの共有を行い、各ジャンルの知識と認識とコミュニケーションのボトムアップを図ることを目的とする