伝統工芸に対するオープンデザインの試み

日本中に多々ある伝統工芸のいくつかは藩の政策に関連して発生している。有松では山賊による被害が膨らみ始めた頃、松丘だった地帯を切り開き、人を住まわせたことに起因している。農作物をつくれず、宿場町の鳴海があるた宿としても繁盛せず、お土産をほそぼそと製作販売しながら生計を立てていたのが初代竹田嘉兵衛だ。知多や伊勢といった綿の産地で、織られた生地を使った反物や手ぬぐいなどを販売していたところ、たまたま大分のくくり絞りと出会い、現在に続く多様な模様と繊細な絞り柄で人々を魅了してきたという。

江戸時代に土産品として人気を博した有松絞りに目をつけた尾張藩は、外部に職人や知識が出ないように有松鳴海に縛りつけた。廃藩置県後、藩主による統制から問屋による管理体制が変わり、分業体制の有松絞の全容を知るものはどんどん少なくなっていったと言う。そのため、内職の一種として考えられていたくくりの職人は、問屋と職人の内部関係で完結し、外部のクリエイターや問屋とのつながりは持たなくなった。そのため、特異な技法や繊細な技術を持つ職人は重宝されて、匿われ、大元の問屋や問屋で働く人物がいなくなると人知れず消えていく技術があったそうだ。

例えば、夫婦が1組で丸太に巻きつけた生地をグルグルとくくり、片方に寄せて染色をすると嵐のような空模様が出来上がる「嵐絞り」は、夫婦がいなくなってからしばらく途絶えていたが、出来上がりと元来の道具をもとに復元した現代機械によって、現在は製作されている。つまり、クローズドの環境の中で培われた技術は流出もしない代わりに、他者への継承や発展がされにくい。一方でオープンな環境でのものづくりは、パクリや技術・人間の流出につながり、クローズドな環境のデメリットとも比較しても受けいられるものではなかった。そのため、閉じた世界の中で保護されてきたものづくりは「伝統」という冠をつけ、さらに閉じた世界に引きこもりつつある。技術力を武器にOEMで成功した企業はいくつかあるだろうが、自滅していく企業も少なくはない。その背景には、職人の高齢化や後継者不足、昔ながらの商習慣と低賃金、固定化された魅力のない商品開発などが挙げられる。クローズドな環境でありながらも好景気の中で新たな技術や後継者を寛容に取り込んできた時代には新たな革新が生まれてきたが、現代では停滞した環境の中では新たに吹き込む風が発生していない。

こうした停滞したコミュニティにおける外発的なイノベーションに関する研究において、さまざまな事例が見受けられる。例えば、『クリエイティブ資本論』では、外部環境を積極的に受け入れられるエリアが活性化することや、プログラミングコミュニティによってプログラムが書き換えられ、派生し、統合して現在もまだ開発がなされるLinuxのようなOSなどが挙げられる。さらに、市民レベルで活用可能な情報機器や工作機械を備え付けられた工房fablabでは、今もまさに誰かのものづくりが誰かによって更新されたり、国境を超えたコラボレーションが進められている。誰もが魅了されるスーパーデザイナーではなく、多種多様なニーズが反映される共創には、他者がこのデザインプロセスの俎上に乗る仕組みが必要だ。それはダウンロードや改変可能なデータであったり、アイデアソンだったり、異業種コラボレーションかもしれない。

こうした他者を寛容に受け入れられるオープンなデザイン工程において、共通の言語や記号を持つことが大切だ。そのためには、他者を招いてたくさんのアイデアやスケッチを生み出す、発散させるアイデア・ワークショップがある。逆に、具体的なアウトプットや技法を限定して行われるものづくりワークショップを通してピンポイントに共有する方法もあるが、前提を整理することができなければご破算することが目に見えているだろう。どうやって参加者らで共有できる記号や体験を引き出すことができるのか、そこから生まれてくる具体的な人工物は何か、それをどのように製造販売することができるのか。それぞれの段階で多様な価値観の投入と情報の整理が必要とされ、それに具体的な形を与える技能が求められる。つまり、伝統工芸におけるオープンデザインの試みとは、停滞した資源を再活性化し、結びつけられていなかった価値観と結合させることにある。そのために、これまで閉ざされていた重い扉を開き、誰もがアクセス可能な情報(アーカイブ)を用意することが求められる。オープンデザインプロセスにおいて、小さな範囲の中で職人が切磋琢磨していた時代とは異なり、広い範囲にわたるたくさんのつくり手が少しずつ更新、改変していく世界となるだろう。