イシュー型の卒業設計展示または建設プロジェクト はあり得るのか

2011年に開催されたKyoto x Diploma '11の実行委員会に携わり、講評者ごとの評価軸を明確にした議論のあり方を検討してからはや10年。逆に審査員としての参加を打診される立場になりました。非常にうれしく二つ返事で快諾をしたかったのですが、考えるところがありすぐに回答することができませんでした。この10年間で社会的な状況や建築に携わる環境が変わり「大量の作品から短時間で」選ぶ現在の建築コンペ・プロポーザルや卒業設計展示について、短時間で理解できる一面的な情報に偏った議論にならざるを得ないということから批判的な立場をとっています。それは企業や行政などとの業務、あるいはまちづくりのなかで定性的な調査や未来志向のビジョンをデザインリサーチャーという職種も大きく影響しています。フィールドワークやインタビュー、ワークショップを通じた異なる利害関係者らとの対話などを通じてデザインプロセスへの介入し、よりよい未来の創造に向けた共創が主たるフィールドであることから、昨今の卒業制作展や建築コンペ・プロポーザルは異なる専門家の参加があるとはいえ、真逆のプロセスをとっているように見えるからです。

 

多様な評価の軸というキーワードを掲げておこなったDxK'11も同様の問題意識がありましたが、当時は立場や専門性の異なる建築家や研究者を講評者や翌日に開催した講演会の登壇者としてお招きするにとどまっていました。それは社会に出ていないことや、現在のように建築を通じた社会イノベーションの事例を知らない学生で運営されていたから、想像の限界がそこにあったのだと思います。しかし、現在はどうでしょうか。SDGsを筆頭にソーシャルサスティナビリティと建築の関係はより強くなり、まちづくりといった地域ビジョンの策定やJVが必須となる建築プロポーザルなど、社会課題に対して集団の創造力が必要とされ場面が増えてきているように感じます。学生とはいえ研究室のプロジェクトや見聞きするニュースからもその変化を感じられるのではないでしょうか。さらに日本独自の課題である超少子高齢化社会かつ労働生産人口の縮小を背景とした、ITやロボティクスなどデジタル領域などを中心に「建築イノベーション」の気運や、地球規模でのエネルギーの枯渇や都心部への人口集中を受け社会福祉など新たな公共を巡る議論への注目が高まっていることも後押しをしているように思います。

 

昨夜、@atu4 さんと @chaki_1680 さんとともに、twitterのスペースでおこなった「イシュー型の卒制/建設プロジェクトについて」をめぐる議論では、こうした背景をもとに離散型の卒業設計展の限界、今だ男性優位な環境が続く建築・建設業界への批判、そして建設プロジェクトにおけるチームビルディングなどに話題が広がりました。短時間での議論や短期間での検討は、共通の理解を得やすい文脈に従った議論になってしまう。すなわち、業務を担う男性とその世代の価値観に収束してしまっているということが課題に上がったのです。他者への想像力を働かす機会が失われた環境では、その文脈に則った評価がなされてしまうでしょう。すでに「当たり前」だとなっている価値観に従うだけでは、ニュー・ノーマルを構築する気概は失われてしまっています。

 

多様性を孕むデザインプロセスとして、ベストライブラリー2019で受賞をしたフィンランドに建設されたヘルシンキ中央図書館『Oodi』を紹介しました。2008年におこなわれた大規模なアンケート調査、施設スタッフらによるグループワーク、2012年以後には基本コンセプトをもとに各専門家や市民とのワークショップなどをおこない、市民の要望と図書館に求められる役割を整理しながら、国家や行政にとってどのような価値を生み出す場なのかを検討を進めたとプロジェクトを振り返っています[*1]。そこではファブスペースやプログラミング教育の提供など、スタートアップ創出を目指すフィンランドの本気度が見て取れます。一部、北極圏に位置するフィンランドでは、乏しい資源のなかで生き残るための重要な国家戦略のひとつとして、頭脳労働によって価値を生み出す「デザインやデジタル産業」などが位置付けられています[*2]。僕が留学していた当時も、教育や福祉に注力しているのは530万人程度の人口では国そのものが失われてしまうかもしれないという、強い危機意識があったからだったと記憶しています。国家レベルでのイシューをもとに公共建築のデザインプロセスを刷新し、国民の創造的な活動を支援する試みは、時間がかかりすぎているという批判もありますが先進的な事例として今後も評価されるでしょう。

 

こうした社会課題の解決を目的としたデザインのあり方は、2000年代のソーシャルデザインなどで台頭し始め、それ以後はひとつの組織や国家の取り組みだけでは解決し得ない気候変動や移民問題など地球規模の課題を前に議論が本格化しているようです。建築領域では 『Future Architecture Platform』や『Open Architecture Collaborative – Social Design for Social Justice』、デザイン領域では『WHAT DESIGN CAN DO | TOKYO』やRSAがおこなう『RSA Student Design Awards 20-21』などの取り組みがあります。日本国内でも兼ねてから社会課題とデザインによる解決を目指すissue+designや、最近ではオランダの活動に共感した日本メンバーが新たにWHAT DESIGN CAN DO | TOKYOを始動し、NOVUS FUTURE DESIGN AWARD(ノウスフューチャーデザインアワード)WHAT DESIGN CAN DO | TOKYOなど、特定の社会課題をもとにしたアワード設立などの新しい試みが始まっています。これまでの作品オリエンテッドな卒業設計展だけでなく、社会課題をもとにした卒業設計があってもよいのではないかというのが僕の提案です。イシューの理解として専門家を招いた講演会や報告書のブリーフィングを共通におこなうことで、課題解決の手法を軸とした評価のあり方をともに議論することができるだろうと期待しています。

 

安宅和人さんの『イシューからはじめよ』に提示されていた[課題の質×解決の質]ダイアグラムをもとに考えると、イシュー型は課題の質を最低限担保し、その上で解の質をもとにその案を評価することができるのではないかと考えています。そこにさまざまな専門家による批評も加わり、今までにない解決法の有り様を議論できる環境が生まれると僕は信じたいです。このプロセスを過激に進めるのが『テラフォーミング』を2020-2022年の教育プログラムに掲げるStrelka Instituteのような教育組織でしょう。彼らは100名規模の専門家を招き、地球外の資源を頼りに違う惑星での生活を支える建築を考えてみようとするのではなく、「地球がこれまでのように(またはこれまでとは異なるあり方で)生命の生存可能な惑星であり続けるために地球をテラフォーミング[*2]」するならば、どのような建築や都市があり得るのか思考実験する非常に挑戦的な試みを始めています。こうしたリサーチをもとに課題を理解し、可能性を引き出した建築のデザインやプロジェクトを立ち上げてみる「イシュー型」の建設プロジェクトは、不確実な時代だからこそ重要な取り組みであると私は彼らの実践を評価したいと思います。

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先鋭的な課題設定や専門家を交えた調査や議論は、目的や課題意識を共有する個人や組織のコンソーシアムとプロジェクト・ディレクターをしっかりと見極めることが重要だろうと考えています。ラボ・ドリブンなアプローチに思えるかもしれませんが、参加のあり方と思索する目的を位置づけなおすことで、社会実装に向けた展開も期待できるのではないでしょうか。まだその可能性を勝手に考え始めているだけなので、引き続き議論を続けていけたらと思います。まずは、テーマ設定と専門家との講演、数十名でのオンライン展覧会や講評会といった活動を小さく勝手に始められないかなと夢想しています。

 

 

21/08/18 22:51 追記

@atsu4さんが感想をツリーで投稿されていたので投稿を埋め込みました。

 

 

[*1] 詳しくはOodiのMediumにある記事「Oodi as textbook case of service design - Oodi」をご覧ください

[*2] (PDF)フィンランド経済の概要 - 在フィンランド日本国大使館経済班 https://www.fi.emb-japan.go.jp/files/100093583.pdf

[*3] 2020年度に検討されたプロジェクトは映像作品として提示されている。新しい法律や制度設計やデザイン手法も含めて提示されているのが興味深い The Terraforming 2021 Program — Research & Publications