自動運転車ができたらすご〜くゆっくり移動したい

トヨタのWoven City構想に興奮し、『ちがう山をおりる』のちがう山をおりる 中速シェアモビリティと都市(前編)を読んでいて僕が思うことは、すご〜くゆっくり動きつづける可能性だ。ビュンビュンと都市間を移動するのではなく、歩くくらいのスピードで、どこにも止まることなくあっちこっちへ移動すること。多拠点ではなく無拠点、移動する点Pのような存在(ただし、お腹は空くものとする)は寛容な未来をつくる気がする。

 

現代において物体や情報の移動スピードはどんどんと早くなっている。その移動速度が上がれば上がるほど、失われるエネルギーも増えてくる、そう、エネルギー保存の法則だ。物理法則とは言えないけれど、スピードが上がるたびに、高速な移動と低速な移動の速度差が開けば開くほどに、僕たちの心身をめぐるエネルギーもまた奪われているに違いない。僕がぎっくり腰になったのもそのせいだ。速く動かない、急に止まらない。それでいて、あちこちにある「仕事」に挑戦しつづけるには、ずっとゆっくりと移動しつづけるしかないはずだ。

 

ゆっくりと動くポッドの中で仕事し、夕方には山辺で食事。キッチンユニットがそこにはいて、冷蔵庫に入っているその土地で旬な食材で夕食。星空を見ながらゆっくりと眠りにつき、朝起きたら波の音で目が覚める。合流した仕事仲間とコーヒーを飲みながらミーティング。気分転換に海辺をテクテクと歩き、先回りしたポッドに乗り込んで次の街へ。3ヶ月ほど市内をぐるぐると回りつづける「滞留する人」とともに生産作業をおこない、エネルギーを分けてもらう。3年かけて日本を回る、学ぶ、招く、交ぜる。

 

目が覚めても同じ街の別の場所にいるくらいの超低速でもいいかもしれない。1年かけてアメリカ横断したい。そのとき僕はどこに税を納め、どんな福祉を得ることになるんだろう。どこでなにをしても自分の責任だけだったら怖いなと、ここまで書いてみてようやく気がついた。新しい国家、あるいは地球、ネットワークの境界線が必要そうだ。気に入った文化や、気の合う人たち、あるいは自分の故郷が愛しくなれば、所属を見いだした場所へ帰ってもいい。そこに年に3回は帰るようにプログラムしてもいいし。毎朝どこか遠くへいき、夜には帰るようにしてもいいかもしれない。僕はゆっくりと移動したいし、ゆっくりと移動し続けている人と話をしてみたい。ゆっくりしたいな〜。

 

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きょうもいっぱいいどうしたなあ