はじめに。

このブログでは、浅野 翔 Kakeru Asanoがデザインリサーチの視点から、建築・デザイン・まちづくりを中心にエントリーを書いていこうと思っています。よろしくお願いします。

Kakeru Asano
1987年生まれ。男。デザインリサーチャー、サービスデザイナー。京都工芸繊維大学大学院修了。CONNECTARIMATSU PORTAL; PROJECT共催。
連絡先 pnch.0924☆gmail.com (☆を@に変えてください。)
趣味 読書、DJ(Sbstrm)
ウェブサイト http://kakeruasano.com

pnchさんの読書メーターpnchの最近読んだ本

ジェンダーの向こう側に

何がきっかけはわからないけど、昔から自分の中にある「男性性」について思うところがありました。それはしょもない下ネタがきっかけか、妹たちへの罵詈雑言に対する親からの叱責だったかは分かりません。「お兄ちゃんでしょう」や「男なんだから」みたいなことは小さな頃から言われてきたけれど、理性的になった今、どれだけ有効だったのかは分かりません。だからこそ、仮初の男らしさを、男性性の防護服を、捉え直すために少しばかり読書をしています。

 

フェミだ、ミソジニーだに興味があるわけではありません。家庭ってなんだろうか、社会ってなんだろうかに興味があります。その興味が人生にどれだけの影響があるかは分かりません。少しでも自分の環境が変わるきっかけになればいいなと思ったからです。まちづくりが「ダサくて」「マッチョな世界」だと言われることへの反抗なのかもしれません。自分の置かれる環境を少しでも変わるきっかけを見出したかったからかもしれないのです。

 

今読んでる「男らしさの終焉」は、考えた方のヒントをくれる書籍です。女性らしさが未来を語るのに対し、男らしさは過去の栄光にすがっていると指摘する本書は、僕が感じる生き辛さを少し緩和してくれます。男性性を肩の荷から下ろすことを許してくれる優しい本です。アメリカやヨーロッパと分脈は異なるけれど責任を放棄するのではなく、無駄な責任を取る必要のなさと新しい道筋を示してくれるそんな書籍。社会包摂性や地域を優しく包む未来を考えるいい一冊となりそうです。

 

男らしさの終焉

 

趣味ってなんだったかなの話

正月は妻と計画を立てることがあり、それからというもの毎年どう過ごすのかをぼんやりと考えてました。毎年、国内旅行は行きたいねとか、3年に一度は海外旅行かなとか。そこでふと気がついたのですが、「あれ、僕の趣味ってなんなんだろうか」と。えいやでいきなりフリーランスになってからというもの、お金もないし、必死に働かなくちゃいけない。それなのに、趣味だ遊びだなんてできやしないと勝手に思ってました。だからお金使うのは同じように話ができる友人たちとの飲み会みたいなものです。

 

家族ができたこともあり、妻との時間の過ごし方や、将来自分はどうなってくのかを考えざるを得ません。今のところは、2人でどんな楽しいことができるのかなと頭の片隅で考えるのが精一杯です。時々、映画を観たり、ふたりとも好きなおいしいご飯を食べたり。そういう刹那的な楽しも悪くはないのですが、継続してなにがしかの成長を感じられないかと思うわけです。スポーツや習い事などは最たるものかもしれません。

 

今まで特に考えることのなかった時間の使い方について、家計のやりくりや家族計画は切っても切り離せないでしょう。何をするにしても時間やお金はかかる。だからこそ、自分が投資する楽しみをもう一度見つめ直さないといけないのかもしれません。「おれって何が好きだったんだっけなー」ってやつ。仕事も生活もそれなりに充実してる気がしないでもないけど、どこか納得していないので寂しいです。

 

身体の疲れが抜けませんねん…

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14日間休みを取れない日々が続いてまして、この3日間は夕方以降電池が切れるのを感じる日々でした。

今日は作業の合間に新成人の晴れ姿撮影会に声をかけてもらい、束の間の気分転換になりました。

自主的に新成人をお祝いしようとする人が街の中にいるってすごいなぁ。めんどくさいこともたくさんあるんだろうけど、暖かい付き合いに触れることができました。

ある数字を超えると批判を避ける抽象的な主張が得をするのかも

先日行われた京都市長選挙。候補者の具体的な主張と得票数がみごとに反比例していました。具体的なことがある方が賛成反対と意思表示しやすいと思うのですが、抽象的な「いいこと風」しか掲げていない候補書の当選が不思議でした。

 

仕事にせよ、趣味にせよ、抽象的な言葉が組織から同意を得られることはあまり多くありません。権力を有した人でも、周りの人は同意はせず、しぶしぶ働いていることが多いのではないでしょうか。具体的な目標や数字、さらに締め切りはわたしたちの活動する動機となります。にもかかわらず、政治の世界では異なるようです。それは、複雑で多様な問題を扱っているから、なるべく利害関係者の批判のまとにならない事で得られる票がまだ多いからではないでしょうか。

 

数十人程度であればステークホルダーの属性も限られ、ともに活動するには具体性があるから自発的な行動を促せるのでしょう。しかし、規模や種類が多くなるにつれ、具体的な事象のひとつひとつに利害関係者間の調整をする必要が出てきます。それゆえ、なんとなくやり過ごすことのできる抽象的な言葉が、敵を作る事なくやり過ごすことにつながるのだと僕は思いました。スタートアップが面白くなくなり、求心力が落ちていくのもほとんど同じようなことに起因しているのではないでしょうか。

 

今ではこの抽象的で良さげなことで波乗りできる社会なのかもしれませんが、大きな社会課題にどんどんと挑戦する未来へ進むためには変わる必要があると僕は思います。具体的な内容とスケジュールを提示して前に着実に進むためにも、たくさんの人間が寛容で、行動と評価が両立するような社会を目指していきたいです。