ofからforへ、モノからコトへ

先日、名古屋造形芸術大学の卒業制作展を訪れた。初めてこの大学の卒業制作展を伺ったのだが、非常に細かくコースに分かれて(デザイン系だけでも5つくらいあったのではないか)いたことに驚いた。そのコースわけとはいわゆる空間デザイン、工業デザイン、ビジュアルコミュニケーションなどの分類によって決まっているのだろうが、中を開けてみると専門領域を越えた展開があり、非常に楽しい。
特に特異なコースがライフスタイルデザインだろう。私たちの生活から見出した何かしらの「気づき」にカタチを与えるこのコースでは、リサーチをリサーチとしてデザインしている学生もいれば、リサーチの結果をデザインしている学生もいる。最終成果物は古い分類としてグラフィックまたはプロダクト(オブジェクト)であることがほとんどだったが、果たして彼らはビジュアルコミュニケーションコース、あるいは工業デザインコースと何が異なるのだろうか。もっというと、平面表現やインタラクションするモノにまで落とし込んでいるイラストレーションコースも含まれる。
古いデザインの分類(design of productなど)では、創造するある人工物を対象としている。一方で、ライフスタイルデザインコースなどのように「道具とは何か」、「人間らしさとは何か」といった哲学的な、思索的なテーマのデザイン活動と言える。そのため、後者のような新しいデザインの分類では、design for human-beingなどのような目に見えないコトを対象としている。学科やコースといった体系立てられたデザイン教育では、見合った技術や表現手法に重きを置かれるが、哲学的な、あるいは思索的なデザイン教育では、対象と向き合う姿勢、リサーチ手法に重きを置かれるといえる。つまり、なぜデザインするのかという根源的な部分から関わらなければいけないのだろう。
デザイン領域の広がりを背景にしたdesign ofからdesign forの動きは2000年代のデザイン・アカデミー・アイントホーフェンの学科改変を筆頭に、各国の芸術大学が取り組み始めている。英国王立芸術大学やMITが取り組む思索的なデザイン(スペキュラティブデザインやデザインフィクションなど)もまた、影響理力を持つ。どの大学でもデザイナーあるいは建築家として持つ、本質的な「なぜデザインするのか」というトピックをつかむことに注力しているといえるだろう。つまり、ofからforへ、モノからコトへとは、「製品から価値へ」といったマーケティングワードではなく、対象の本質を捉えるための手続きなのかもしれない。

産地から見えるもの

有松の染工場に関わり始めて約2年、2016年は丹後ちりめんの機屋さんともお仕事させていただいています。どちらも和装文化が斜陽になり、次の展開を考えなければいけない時期になっています。特に課題なのが分業体制による生産エコシステムの崩壊が少子高齢化によって、加速していること。産地で現役に働く職人の平均年齢はどんどん上がり、ある仕事を任される職人がいなくなるとその技術とともに消えてしまう可能性があります。職人的な経験中心学習形式では、伝達と継承がなされる前に途絶えてしまうかもしれません。
職人の経験や知識をいかに外部化しリソース化することができるのか。これは日本酒の蔵元で、杜氏なしの日本酒として知られる獺祭の成功からも期待されています。伝統工芸における繊維産業においても、近代工場がすでに実践しているデータベースドなものづくり、やりとりする共通データの作成、アーカイブ参照と改変に取り掛かることは避けられません。
こうしたやりとりは分業のためではなく、共創のために必要なことです。これまで1から10までの生産工程を経た生産物を、1から6で止めることや、4〜10までやることで他者から新たな付加価値を得るかもしれません。さらには工程が減ったことで生産量や持続可能性が増える可能性もあります。従来の生産物が本当に正解なのか固定概念を取り払うことも必要です。
産地は産地「らしさ」に浸かりきっているため、「らしさ」を損なわないように、着物地からタオルへといった生産物の転用を考えがちです。そこには本来抱えている分業生産体制の危機や産地で育まれてきた付加価値は提示されていません。産地で毎日行われている「当たり前」をもう一度見つめ、5年後、10年後の仕組みはどのようになっているか、考える必要があります。同様に、デザイナーは持続可能な生産方法からどのようなデザインが考えられるのか。産地に立つ者、産地を見つめる者、どちらも視野を広く持つことが求められています。

街へのまなざし

先日、ARIMATSU PORTAL; PROJECTの活動について、ようやく有松でお話しすることができました。名城大学の柳沢先生よりお声がけいただき、「なぜ有松なのか、街へのまなざし」というテーマです。
プレゼンの中で私たちの活動は、有松に根付く「ものづくりの文化」に共感し、停滞している交流のための「入口・出口を築くこと」を理念としていることをお話ししました。伝統工芸や古い町並みに惹かれているのではなく、リチャード・フロリダのクリエイティブ資本論を引用しながら、400年続く町の才能・技術・寛容性をどうしたら再び手に入れるのかを考えています。
2016年2月29日に伝建地区指定がなされた有松のエリアは、風致計画が見直され、かつての有松を保存する方向に力が働くのだと思います。歴史や伝統を傘にハード整備が先行し、活用計画や利用者といったソフト運営が後手に回されてしまうかもしれないという危惧があります。400年の歴史は建築物といった人工物に宿るのではなく、そこを利用する人間やその人間を通して生まれた創意工夫にも宿るはずです。
そのためにも、ARIMATSU PORTAL; PROJECTでは、主体的であること、多様性を確保すること、持続可能な計画を立てることに「入口と出口」を見出し、活動を続けていこうと思います。2016年は拠点を再活用して、新たな展開を目指していきたいと思います。

ワークショップに流れる時間

参加している時間はあっという間なのに、その準備や段取りにかける時間はその比じゃないのがワークショップだ。いかにシャープなら目的と課題を設定し得るのかは、検討材料を集めるところから始まっているため、テーマの凡庸性と深度には細心の注意を払う必要がある。経験を積むことで工程は早く進めるかもしれないが、テーマ設定だけは時間がかかる。

短期間でやらなければいけない場合(できる限り避けたいが)、1枚のA4シートに企画書を書くところから始まる。アイデアソン、デザインワークショップのような発散されることが求められる場合、「〜の of」ではなく、「〜のための for」で考えることが多い。つまり、オブジェクトを指すのではなく、経験や期待をテーマにする。e.g.) ×: やかんのアイデア、○: 喉の渇きを潤すためのアイデア
これではテーマが広すぎるので、範囲を狭めないと時間内にアイデアのタネは掴めない。次に考えるのは、環境や背景だ。背景を描くことで参加者のアイデアの基盤に対するイメージ解像度が上がる。まさにマンガの背景さながら、その中で生き生きとするキャラクターやオブジェクトを考えることに専念してもらう。e.g.) ○: 真冬の移動中に、ドブ川沿いで、水道が止まった時間帯になど
おおよその参加者とファシリテーターの数は、テーマによるが5人または5チーム以上をつくることはなるべく避けている。場所や予算にも影響し、必要となる道具を揃えるのにも非常に時間がかかってしまう。アイデアを収束させるための時間やダレない体感時間を考え、集中して関わり続けられる方法を探ることが必要だ。

この企画書を持って担当者に提案し、確認が取れ次第、参加者集めに奔走する。当たりをつけたところにひたすら連絡し、返事を待つ。おしゃれな広報物がなければ、参加を動機づける楽しそうな文章が必要になる。ワークショップは下手をすれば「やる気の搾取」あるいは「無償労働」になりかねない。参加者に気持ちよく過ごしてもらうために、緩急つけたプログラム配分や環境づくりを心がけなければいけない。
始まってしまえばあとはファシリテーションに最大の注意を払い、部分と全体を見渡しながら進行する。質問する。チャチャを入れる。要約する。手を動かせる。

あっという間に過ぎてしまう実施中はたくさんの写真記録が第三者の目線として重要になるが、それ以上に参加者のアイデアや振り返りが大きい。「なんで?」という質問を繰り返しながら、参加者のアイデアではなく、アイデアが生まれる過程を振り返る。その過程には知識的な学びだけでなく、創造する思考力があるからだ。その力を言葉としても引き出し、内在化せるためにも、まとめの時間は大切にしなければいけない。

ただ闇雲に時間内に手を動かすのではなく、その前後にしっかりと考える時間を割く。体感する時間や刺激は最中の方が圧倒的に早く、大きいが、最も何かを得ることができるのはその前後にある。

忙しさの中に

年越しをしてから毎日毎日見つめるものがある。モニターの中にある文字や写真の情報だけでなく、京丹後の機屋と取り組む素材作りの実験、少しずつ開業日が近づく障害者福祉とお菓子屋さんの取り組み、行政や大学など公的な機関とのメディアづくり。羅列するとキリがないけれど、いろんな仕事が同時並行で動いており、川の流れを見ながら飛び石をまたぐ日々は楽しくも緊張感がある。

仕事ばかりしてるわけでは当然なく、日々をこうやって振り返りながら至らぬところらもっとできることを振り返る。反省なんかしても何も生まれないので、次はどんなことをやってみようか、新たな試みの可能性を探ってるのかもしれない。小さなメモがたまっていく感覚だ。

忙しさの中に自分のための時間、創作活動の時間はどれだけあるのかと振り返る。それはクライアントワークか、プライベートワークかではない。やみくもに処理するのではなく、「手を動かしながら学ぶこと」、「学びながら手を動かすこと」を指している。

年度末が押し寄せてくるこのタイミングで、自分のキャパシティや乗り越える胆力を見出すことができるだろうか。もうすぐデザインリサーチャーとして3年目を迎える。次の一年間に向けて、忙しさの中に成長のチャンスをつかみたい。