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僕らの時代、二次創作の時代。

僕らの世代は二次創作の時代。同人、改編コピペ、SS、ニコ動などすでに出来上がったキャラクターやシステムに乗っ取ることでより多くの人の関心を呼び、心を掴んで離さない。その中でもセンスを持ったモノたちだけがカリスマ性を放ち、次なるフォロワーを生む!これが僕たちの時代!!
その背景にはデータ化による共有のしやすさがあげられる。あえてデータを共有し、フォロワーを生むシステムがそこに見受けられる。以前のように知識や技術を持つモノだけが作れたギルドが今ではたやすく誰でも参加できる。共有、集合知が今の時代の創作を助ける。これが当然のシステムとして成り立っている。
特にニコニコ動画の影響は大きい。ヴォーカロイド、アイドルマスター、東方、パンツレスリングなどは常に上位にある。ここでヴォーカロイドにおける様々な動向を用いて二次創作の流れを説明する。
1.初音ミクというキャラクターにDTMの要領で彼女に歌を歌わせる。

2.実際に歌う人が出てき

3.さらに演奏する人が出てきて

4.そしてその歌にPVがつけられ

5.PVを踊る人が現れ

n.and more...   (動画の選出に他意はありません。)
このように、センスの高い一つの動画が出てくると、それに関係する様々な動画が出てくる。そのレベルは様々で糞動画と呼ばれるようなものから、野生のプロと称されるプロレベルの作品まで多々ある。この動画のフォロワー(2の歌い手とする)がとても高い歌唱力であったり、個性的な歌い方であったり、何かしら人の関心を呼べぶ人だとすると、今度は他の歌い手とのコラボ動画が生まれたりもする。このように、似たような作品が多数アップロードされるが、その作品の二番煎じであることを疑問に思う者は少なく、むしろ作品、作者へのリスペクトの意思が感じられる。
ところが、この傾向を快く思わない者もいる。同じ動画へのレス動画が増えると、同じヴォーカロイド作品の検索がしにくくなる。玉石混淆。同じ土俵に立つ他の素晴らしい動画が見つけずらくなるのだ。これが今現在、建築学生を取り巻く状況からも感じ取れる。
卒制日本一などのコンテスト、コンペで問題とされる学生による学生のパロディがこれを反映している。大西の翌年に同様の形態を持つモノが多数出品されたことは記憶に新しい。10+1 No.49などの紙面などで数年前から講評に同様の指摘を五十嵐がしている。今年の卒業設計日本一決定戦の作品集にもどうよの意見を述べている建築関係者がいた。これを五十嵐はメディア化による弊害と論じているがそのような単純なものではないように思う。我々の年代以前の学生たちもなにがしかのメディア(書籍など)を持ち得ていた。しかし、同様の指摘は彼らの時代にはされてない。(当然、全国規模の卒制コンテストもないが)
メディア化されることでスター建築家がごとく祭り上げられる受賞者。関連書籍の割かれるページ、ブログ等による露出などから我々はカリスマのデータ(作品紹介から好評等のデータ、そして考察)を共有することができる。そして、そのようなカリスマに対して我々の年代の多くの人間が彼ら(彼女ら)を単純に敬い、コピーという手法でそのお祭りに参加しているのだ。そのコピーの中でもセンスのあるものは100選もしくはそれ以上に残っているし、別のコンペで同様の作品が受賞したりする。そして、玉石混淆の中からまた別のセンスの高い作品が受賞すると我々はこの作品に飛びつき、フォローする。これらから二次創作の時代であることは明らかだ。
私は二次創作の時代が、真似をすることが悪だとは思わない。これまでの時代も二次創作は行われてきている。諸先輩方を真似ることで仕事を覚えてきた事実がある。ムーブメントは真似から生まれてきている。カリスマと言え、彼らも何かしらのものを影響を受けて作っていることは確かだ。ただし、真似るだけでは単なるフォロワーに過ぎない。お祭りをお盛り上げる次なるカリスマとなるには、それでけではだめだ。そこに何か別の個所から新しいものを持ち込むことは必要でなく、その流れに身を預け自分のアイデアをそこに乗せることが重要となる。ニコ動で見られるカリスマ性を持つモノは定番ネタを踏襲しつつ、そこに自分のアイディアを付加している。そのアイデアはなにも革新的なことではない。元ネタという立ち位置にいながら、多くの人が気が付いていない新しい視点を持ち込んだだけだ。これからの時代には、斬新なアイディアを求めるのでなく、視線を変え人々が気が付いていないことを認識させることが重要になるのだろう。(敬称略)