TOKONAME HUB TALK vol.4 トコナメ建築話 を振り返り

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2016年3月18日、会場は普段ギャラリー・カフェとして運営されている『TSUNE ZUNE』で開催されTOKONAME HUB TALK vol.4 トコナメ建築話に参加してきた。ゲストは普段関西を拠点に活動する3組の建築家、木村松本建築設計事務所の木村吉成さん、田所克庸建築設計事務所の田所克庸さん、そしてmasakikatoの加藤正基さん。3人の共通点は常滑の魅力にはまっていること。その魅力とは何かが今回のテーマだと思いました。

僕は仕事が押してしまい、着いた頃には木村さんのお話が終わってしまっていました。田所さんは、玉ねぎを干す農作業小屋から話が始まる。この小屋は、普段は農具をしまうスカスカの掘建小屋として立ち、収穫して玉ねぎを保存するときには、束になった玉ねぎがかけられて壁が現れる。風土や地域性が現れたこの小屋は、季節の移ろいのなかで何気ない日常の風景を変えていく。田所さんが設計された建築は、何気ない日常の変化、現れたり消えたりすることをそっと支えるようだった。続いて、加藤さんからは木村さんと加藤さんによる共同設計に加え、大工の伊藤智寿さんとの共同施工をしたプロジェクトを紹介。住まい手が決まっておらず、集合住宅一室のリノベーションが行われたこのプロジェクトでは、設計者と施工者の対話を通したデザイン、または、思考がドライブしていく瞬間について触れられた。次に紹介された、長屋を改装した『Gの別邸』では、田所さんを設計者に、施工者にアトリエカフエの安川雄基さんを加え、より複雑な対話が起きていたことを想像させる。しかし、誰かのささいな一言が誰かの頭に残り、誰かの設計図や施工の現場に反映されていく不思議なやりとりが起きていたという。そして、このやりとりの方が図面を介した設計施工よりもずっとスムーズで、ずっとやりやすかったというのだ。その背景には、常滑で製造されたレンガを素材として使用して空間を構成していることで、最低限のモジュールか共通事項としてあったからなのかもしれない。建築と関わる最小限の要素である玉ねぎがのちにレンガとなり、質疑応答で議論は進展していく。

進行を務めていた水野太史さんや谷村仰仕さんからは、「建築と自由さ」という表現で設計者同士や施工者と設計者同士のやりとりを説明していた。共同設計で建築家たちのエゴを薄めて調和させるのではなく、「常滑のレンガ」という共通の言語を手に入れたことで一つの集合体(Collectiveness)として活動し得たのだろうか。ブラックボックスと化した住宅は、住まい手や暮らし手の想像力(創造力)を奪い、ある限られた関係の中でしか暮らすことのできない「不自由な」生活を強いられている。そのときにほぼ誰でも自由に使うことのできる素材としての「レンガ」は、設計者と施工者だけではなく、のちにそこで暮らす人々とも対等な関係となるかもしれないと木村さんはお話しされていた。常滑のまちを歩けばすぐに土管や陶器で作られたものが援用された基礎や建築に出くわすことがある。これこそがゲストがこの町から感じる魅力で、私たちがいつの間にか強いられている不自由さから脱するきっかけなのかもしれない。しかし、レンガはまだ建築の不自由さに気がつかせるきっかけにすぎない。ある種、オープンソースのようなレンガを用いた設計を通して、専門性がどこにあるのか今後も議論を行う余地がありそうだ。