香川のデザイン政策とその痕跡を知る━━中條亜希子氏の講演を聞いて

2025年2月27日、名古屋のナゴヤ イノベーターズ ガレージで開催された「土地と文化とときどきデザイン」で、私は2限目「香川の文化革命−金子知事から讃岐民具連に至る道」で、中條亜希子氏(高松市屋島山上交流拠点施設「やしまーる」館長)の講演を聞きました。


中條氏は、香川県のデザイン文化と建築の関わりを深く掘り下げ、地域のデザイン政策がどのように形成されたのかを紹介。特に、香川県のデザイン政策には1950年から1974年まで知事を務めた金子正則の影響が大きく、彼が進めたプロジェクトが今の香川の文化を形作っていることがよくわかる講演でした。


丹下健三と金子正則が築いた香川のデザイン

金子知事は「政治とはデザインなり」という信念を持ち、デザインを県政に取り入れました。その象徴ともいえるのが、香川県庁舎(設計:丹下健三)です。


丹下は戦後日本の建築を牽引した巨匠であり、香川県庁舎(1958年竣工)は彼の初期の代表作のひとつです。モダニズム建築の先駆けとして評価されるこの庁舎は、金子知事の「県の顔としてのデザイン」を強く意識した政策の成果でした。


また、庁舎のインテリアデザインには剣持勇が関わり、猪熊弦一郎はロビーの壁画も手がけました。金子知事は県庁舎の建設を単なる行政施設としてではなく、香川の文化や技術を象徴するものとして位置付けていたのです。


讃岐民具連とデザインの革新

1962年、金子知事と流政之を中心に、職人や工芸家を巻き込んで「讃岐民具連」が結成されました。この団体は、伝統的な民具を新たなデザインの視点で再生し、地域の産業と結びつけることを目的としていたそうです。


讃岐民具連にはジョージ・ナカシマも関わり、日本の伝統工芸とモダンデザインの融合が試みられました。また、剣持勇が「和にも洋にも合うデザイン」として「讃岐モダン」を提唱し、建築・家具・民芸の分野で影響を与えました。


また、画家の猪熊弦一郎も金子知事と深い関わりを持ち、香川県内の公共空間や施設にも作品を提供し、地域の美術環境を豊かにしたことは特筆すべき点です。


讃岐民具連はすでに解散していますが、その思想は今も香川のデザインに根付いており、現在のデザイン文化の土台を築いた重要な取り組みでした。

LOCAL DESIGN OF KAGAWA—デザインの可視化

中條氏は、香川のデザインを記録・発信するための企画展「LOCAL DESIGN OF KAGAWA」を手がけています。これは高松市牟礼町のショールーム「蒼島(あおいしま)」で開催され、香川県のデザイン史や建築、職人技術を紹介する場となっています。


展示の中心には、「世界・日本・香川のデザイン年表」があり、香川のデザインの発展を俯瞰することができます。この年表には、金子知事の政策や、関わったデザイナー・職人たちの足跡が記録されており、香川がいかにデザインを重視してきたかが一目でわかる内容だそう。この年表づくりは中条氏のライフワークになってるとのことで、今後も更新されていくのだろうと思います。

 

香川のデザイン文化の未来

香川では現在も、デザインを活用した取り組みが続いています。1限目を担当した井藤教授が教鞭をとる香川大学には創造デザイン学科が新設され、次世代のデザイナー育成が進められているそうです。


また、若手デザイナーの中には「デザイン年表に自分の名前を載せたい」と考える人もおり、金子知事時代から続くデザイン文化が、今もなお生き続けている証拠なのかもしれません。


今回の講演を通じて、香川県が日本のデザインにおいて特別な位置を占めている理由がよくわかりました。金子正則知事の先見性、丹下健三の建築、剣持勇のデザイン、猪熊弦一郎の美術、そしてそれらを支えた職人や工芸家たちの努力が、現在の香川のデザイン文化を築いてきたのです。


中條亜希子氏の活動によって、こうした歴史が整理され、次の世代に受け継がれている様子も感じられました。香川のデザイン文化が今後どのように進化していくのか、これからも注目していきたいと思います。 それと同時に県内に多数の工芸が残るここ愛知県で私たちがやるべきことも見えたように思います。