卒業制作に見る デザイン教育の現在地
今週末は今年で数回目となる大同大学 情報デザイン学科 プロダクトデザインコース 卒業制作展の外部講師による講評会へ。制作物からもすっかりコロナの影響はなくなり、プロダクトや生活文化に着目したものが増えてきたなという印象です。コロナ禍が落ち着いたことで、学生が社会のことを考える余裕が生まれたのかもしれませんね。
講評時にはおおまかに「着想・調査・設計・検討・体験」を5段階評価しながら、学生の発表を見て聞いて回るように意識してます。なるべくダメ出しよりもおもしろポイントを探りつつ、よい誤解も楽しみながら。きれいなデザインや枠に収まった発想は社会に出たら嫌でも味わうので、学生が突き動かされる動機に触れられるとうれしいなと臨んでいます。
今回は作品を見て回ると、コミュニケーションツールとしてのプロダクト、自身の趣味趣向の拡張世界、並列化された機能性、パッケージとしてのプロダクト、マテリアルドリブンな実験などがありました。近年のスマートデバイスによる影響か、複数の機能と複数のデバイスが並置される作品が最も多くありました。提示したい世界観は分かるものの、高い質で複数の製品をデザインするには時間やリソースが足りない印象です。そんな中で機能性のわりきりと共感を呼ぶ造形で、明確な4つのプロダクトをパッケージまで含めてデザインした作品に外部講師票が集まっていました。
パッケージを主体とした作品も次いで多い印象です。外装や包材以上の価値を見出せられているかが重要で、それはモノへの観察力や送り手や受け手への想像力に委ねられているようです。これは自分の趣味趣向という内向的な世界を観察し続けるうちに、誰かの共感にまで飛躍する検討ができたかとも共通しているようです。蝶とエネルギーという、距離のある組み合わせが共存する詩的なコンセプトから生まれた世界観に引き込まれました。製品ではなく作品としてデザインされることで、もっと驚きと発見が生まれたのではないかと思います。
最後に、提案に派手さはないけれど、実直に社会課題や素材と向き合いつづけた学生らに個人賞を送りました。学童保育におけるDIY可能な家具、工程から見直したデザイン素材としての炭団、推し活の遠征バッグを非常用袋に見立てた提案。これらは僕自身も多大に影響を受ける故エンツォ・マーリの思想。時代を超えて愛される、使い手にとって意味を感じられる良いプロジェクトだなと感じました。
卒業制作展示の会場であったナディアパークには、1996年のデザイン博覧会を契機に設立された国際デザインセンターが入っています。しかし、今年度をもって組織が解体され、その機能は名古屋産業振興公社に引き継がれることになりました。ここで危惧されるのは、デザインの多様な可能性が十分に継承されず、インダストリアルデザインを中心とした産業振興がデザイン戦略の中核とみなされることです。本来、デザインは単なる商業的な価値創出の手段ではなく、社会や文化と結びつきながら新たな視点を生み出すものです。
経済や産業の発展に貢献することはもちろん重要ですが、デザインはそれだけにとどまらず、私たちの生活文化や価値観を形成し、社会のあり方をも再構築する力を持っています。それは逆説的に言えば、製品をデザインすることによって、私たちの生活や技術もまた製品によって「デザインされる」関係にあるということです。つまり、デザインの選択が、どのような社会を目指すのかという問いにもつながるのです。
より効率的かつ合理的にと人間中心なシステムが起因する惑星規模の課題見直しが図られる今、卒業していくみなさんには組織の権力構造や市場原理にのみ従うのではなく、社会に対して批評的な視点を持ち、積極的に提案していくデザイナーとして活躍されることを期待しています。