ミニレポ『日本遺産のまち 有松の未来を考えよう Day.1』

今日は有松でまち歩きWSです。半数は地域の方らしく、半数は有松に興味を持っている方々とのこと。どんな声が聞こえてくるのか。WSの企画は愛学の村田尚生准教授です。運営をまちづくりの会からありまつ家守へ委託されました。主催は有松日本遺産実行委員会事務局、企画運営を有松まちづくりの会が担当しています。年度内に今日を含めて3回、まちあるき→ワールドカフェ→30年後に向けたディスカッションとのことです。

はじまりのあいさつ。2016年の重伝建、2019年の日本遺産選定を受け、内外から有松に人を呼び入れるような仕組みを考えるきっかけとして、WSを実施します。30年後を見据えて地域資源や課題の発見を目的としています。愛知学院大学の村田准教授。今日のまち歩きでは、五感で得られた情報を、写真と一言コメントを添えて、instagramへ #有松の未来 に投稿してもらいたい。振り返りの際に話し合うタネとします。

まち歩きは「ありまつあないびとの会」のみなさんが、①絞り、②祭り、③まちなみの3コースを案内します。まちなみコース。東海道五十三次に描かれたまちなみが残る有松。火災がきっかけで塗籠造などのしっくいが特徴です。祭りコース。山車を展示している山車会館。山車は10人ほどで動かすことができるが、季節の祭礼では50mの綱があり、200人が参加できるようになっている。絞りコース。絞り会館では、職人の手捌きを見ることができる。蜘蛛の巣のような柄が特徴の手蜘蛛絞りの実践中。かつては、丁稚や親族が集まり、みんなでくくりの作業をおこなう風景がみられた。
f:id:pnch:20200126215621j:plainf:id:pnch:20200126215635j:plain

インスタ+Lineのオープンチャットにまち歩きの写真アップし、これから「地域の宝」について話をしていきます。まずは竹田会長からの挨拶、そしてまち歩き振り返りの進行は村田准教授が。多くの方が利用しているラインが情報共有のインフラに。写真をアップすることで時間切れでした。街の未来を考えるヒントとして、4つのポイントを村田准教授から説明。
f:id:pnch:20200126215647j:plain

次回は2020/2/22にワールドカフェ形式で意見交換とのこと。40名を超える参加者からどれくらいの人が継続参加してくれるのかがポイントですね。本事業は文化庁が実施する日本遺産の日本遺産魅力発信推進事業の一環として、協議会が主体となっています。今年度の成果を取りまとめ、次年度はさらに具体化するプログラムを予定しています。
f:id:pnch:20200126215501j:plain

創造系アンビエント『Y/OUR FUTURE』振り返りメモ

創造系不動産とアンビエントデザインズによる『創造性アンビエント 新年会』の第3部にて、すごく久しぶりのDJをやらせてもらいました。

ヘッドホンを忘れるという痛恨のミスはありましたが、3部のトークイベントやカタチトナカミのライブが盛り上がっていたのでもうそれだけで十分です。ありがとうございます!

 

僕らはというと、第2部で『Y/OUR FUTURE』と題しと、大きな風呂敷を広げに広げまくった公開企画会議をおこないました。未来志向やバックキャストが、巨大で複雑な社会課題を考える際にどう援用されてきているのかを、僕から紹介させてもらった上で議論をスタート。ビックピクチャーを描く建築家として、2050年の課題解決あるいは新しい未来を夢想し、2030年までになにを到達して、それを踏まえて現在、なにを宣言することができるのかを短時間でやってみるという無謀なものです。

 

参加メンバー(敬称略)

アンビエントデザインズ

石黒泰司

ナノメートルアーキテクチャ

三谷裕樹、野中あつみ

matomato

松田孝平

 

Twitter

#y_ourfuture

 

アンビエントデザインズ、ナノメートルアーキテクチャ、マトマトの3組の建築家らは、博報堂生活総研の『未来年表』から、2050年の興味ある予測を5つあげてもらいました。具体的には、「火星移住」や「過疎地5000箇所で新しい行政施設が建つ」、「製品からサービスへ、60%以上の企業が転換する」と言ったものがあげられました。この予測の背景には、「エネルギーの枯渇」や「超少子高齢化都心部への集中」、「地球温暖化を抑制する低炭素社会」などがあげられます。では、これらの問題が「2050年にすべて解決されているとしたら」建築家という職能の内外で、誰とどのように関わっていると想像できるでしょうか。こうした「建築設計」の周辺にある、社会制度やサービスを考えることが狙いでした。

 

宣言の「萌芽」程度でしたが、それぞれが「新しい医療福祉」や「スタートアップと働き方」、「移動と建築」に加えて「生命科学と建築」などのキーワードが得られたのがひとつの収穫です。とはいえ僕自身も含めて、この問いに対してどうしても今から考えられる現実的な課題解決やパートナーばかりを挙げてしまうことがとても悔しかったです。思考方法の訓練で解決できるとはいえ、あまりにも目の前のタスクをこなすことが身体と脳に染み付いているのだと認識させられたからです。

 

また、トークイベントでなくて、会場の人も交えたWS形式にした方が理解や議論が生まれたかもしれません。今回は建築関係の人が多く集まるイベントでしたが、異なる専門性をもつ人も参加できるような仕組みにしたいと思っています。これは今後の課題とさせてください。引き続き、勉強会を通じてテーマを具体化をし、名古屋から未来の社会を議論する場を生み出していきたいと思います。

 

f:id:pnch:20200119213140j:image

 

f:id:pnch:20200119213150j:image

 

f:id:pnch:20200119213344j:image

自動運転車ができたらすご〜くゆっくり移動したい

トヨタのWoven City構想に興奮し、『ちがう山をおりる』のちがう山をおりる 中速シェアモビリティと都市(前編)を読んでいて僕が思うことは、すご〜くゆっくり動きつづける可能性だ。ビュンビュンと都市間を移動するのではなく、歩くくらいのスピードで、どこにも止まることなくあっちこっちへ移動すること。多拠点ではなく無拠点、移動する点Pのような存在(ただし、お腹は空くものとする)は寛容な未来をつくる気がする。

 

現代において物体や情報の移動スピードはどんどんと早くなっている。その移動速度が上がれば上がるほど、失われるエネルギーも増えてくる、そう、エネルギー保存の法則だ。物理法則とは言えないけれど、スピードが上がるたびに、高速な移動と低速な移動の速度差が開けば開くほどに、僕たちの心身をめぐるエネルギーもまた奪われているに違いない。僕がぎっくり腰になったのもそのせいだ。速く動かない、急に止まらない。それでいて、あちこちにある「仕事」に挑戦しつづけるには、ずっとゆっくりと移動しつづけるしかないはずだ。

 

ゆっくりと動くポッドの中で仕事し、夕方には山辺で食事。キッチンユニットがそこにはいて、冷蔵庫に入っているその土地で旬な食材で夕食。星空を見ながらゆっくりと眠りにつき、朝起きたら波の音で目が覚める。合流した仕事仲間とコーヒーを飲みながらミーティング。気分転換に海辺をテクテクと歩き、先回りしたポッドに乗り込んで次の街へ。3ヶ月ほど市内をぐるぐると回りつづける「滞留する人」とともに生産作業をおこない、エネルギーを分けてもらう。3年かけて日本を回る、学ぶ、招く、交ぜる。

 

目が覚めても同じ街の別の場所にいるくらいの超低速でもいいかもしれない。1年かけてアメリカ横断したい。そのとき僕はどこに税を納め、どんな福祉を得ることになるんだろう。どこでなにをしても自分の責任だけだったら怖いなと、ここまで書いてみてようやく気がついた。新しい国家、あるいは地球、ネットワークの境界線が必要そうだ。気に入った文化や、気の合う人たち、あるいは自分の故郷が愛しくなれば、所属を見いだした場所へ帰ってもいい。そこに年に3回は帰るようにプログラムしてもいいし。毎朝どこか遠くへいき、夜には帰るようにしてもいいかもしれない。僕はゆっくりと移動したいし、ゆっくりと移動し続けている人と話をしてみたい。ゆっくりしたいな〜。

 

f:id:pnch:20200117234646j:image

きょうもいっぱいいどうしたなあ

3年目って2周目に入る感じ

京都に越して間も無く3年を迎える。相変わらず週末名古屋へ戻ることが多いので、京都も名古屋も週末の賑やかな夜はほとんど堪能できてない。とはゆえ、どちらにも顔が馴染み始めるので、お声がけいただくことが増えるのは確かだ。引っ越しで失われていたものが少しずつ戻ってくるような相談が続いた。

 

1年目はログインボーナス。力試しでお声がけいただいたり、きっかけづくりで相談もらえる。2年目は能力とさける時間を相手も意識して、タイミングを見計らう。3年目はようやくスタート。ここで結果出した人が次の関係につながるのでしょうが、個人事業主や起業家は3年以内にぽしゃることも少なくない。だからこそ、踏ん張る体力と機敏なフットワークが必要になるんですね。

 

名古屋ー京都と反復横跳びしていた僕は、両エリアに適度なコミュニティができていると感じてます。母校が京都だったことは大きな追い風となりました。ただし、そこに甘えて新たなネットワーキングが出来ていたかというと、残念ながら自信がありません。夜は打ち合わせや作業だと、週末は出張やミーティングのため、自由な出会いは少なかったです。信頼関係の貯金の中でやりくりせざるを得なかったのが本音です。この反省を生かして、今年は少しずつローカルにも、公の場にも顔を出していこうと思います。

 

f:id:pnch:20200116232117j:image

2拠点生活は分割というよりも、二本並行しているだけなので体力的にも正直しんどい。。ぎっくり腰早く治らないかな。