長時間労働と性平等

2021年始まって早々、名古屋も非常事態宣言が出されそうな勢いです。有松の職場近くに暮らしているので、中心部の対面会議を除いてほとんど変わらずオフィスと自宅の往復になりそうです。変わるとしたら局所的にご高齢の方も多く生活される有松エリアでのイベントなどの実施でしょうか。

Google先生の予測では愛知県の新規感染者数などは微増し、さまざまなイベントを検討していたこともあり暗澹たる思いです。幸いにも昨年はまちづくりなどオンラインで実施した実績もあり、まちづくりの時点でよりオンラインでの意見交換や学習の機会を提供し、地元の方々に新たなツールへ慣れ親しんでいただくことになるのかなと予想します。

大学の授業もそうですが、なによりも下準備が大変。オンラインツールは多数あれど、地域ごとの課題に合わせて修正は必要です。

 

お正月は桃鉄三昧でリフレッシュでき、1月4日から元気よく働いています。夜の打ち合わせがあると帰宅が22時前後になることもありますが、通常は19-20時前後に帰宅するようにしています。名古屋に戻ってから遅くまで働くことに対する考えを改める機会がありました。ひとつには性の平等について考えることが多かったからです。

最近の「おかあさん食堂」というネーミングが批判されるように、報酬の支払いのない家庭内の働き(シャドーワーク)が、女性だけに押しつけられている現状は、あまりにも不平等と言わざるをえません。ある時代までの男性特権(教育や就労の機会などにおける)では、本当は学びたい、働きたいにも関わらず、その役割を剥ぎ取られ、シャードーワークを押し付けられてきたからこそ成立したこは、イリイチがすでに指摘しています[*1]。

毎日、22時過ぎまでもし働いているならば、家事全般は妻に任せることになり、彼女の学習や就労の機会を奪うことになりかねません。育児が加わっていたらなおさらです。効率の良い働き方は誰かを犠牲にした生産ではなく、誰かとともに文化や価値を高める可能性のある生産だと考えられます。

 

数年前までは「2, 3時までバリバリ働いて年収2000万円すげー!」みたいな価値観が僕にもありました。経済成長を軸においた未来において、高い年収を稼ぐことには価値があったかもしれませんが今は異なります。

#metoo運動やFFF運動が「大人の男性社会」を批判するように、不公平な権利構造がそこにあるのです。それは僕たち(それこそ昭和の世代)が「努力」だと教わってきたことで、考えを大きく改めないといけないことなのです。

成長を目指した長時間労働が、持続可能な未来から目を逸らしていることに気がついたから、性の不平等に加担していることに気がついたから、僕は効率の良さや、ともに未来つくることにこれから注力したいのです。

 

※ここでは男女の平等を扱っていますが、主たる労働者が逆の場合でも、同性、または異なるかたちでも同様だと考えています。

 

[*1] I • イリイチ(2006). シャドウ・ワークー生活のあり方を問う 岩波現代文庫

シャドウ・ワーク―生活のあり方を問う (岩波現代文庫)