What if...? もしもコロナがなかったら今ごろ何してた?

2020年の初春には大阪と仙台を股にかけるPJや滋賀県での業務、そして名古屋に戻ってから始まるPJにどれだけ時間割けるかななんてことを考えてました。そこから約半年が経ち、なんとか半分くらいのPJは動いているものの、思い通りに進んでないのも事実。でも、もしコロナがなくて、思い通りに動いてたら何してたんだろう。

2020年は2019年から引き続き、福祉関連のデザインリサーチプロジェクトやライティングをいくつかやってたはず。特に高齢者福祉の専門家や実務家とともに、地域包括ケアがどうやって現場に落ちるのか、地域で受け止めるのかを考える機会になっていたはずです。それは高齢化や後継者不足に悩む伝統工芸の産地であるここ有松や滋賀県でも同じ。ケアとものづくり、異なる分野にまちづくりのような中長期的な視点を絡めて、創造的に生き延びていくのかを各地で議論できていたかもしれません。

仕事はそれなりに面白くなったかなと思う一方で、引っ越しで痛めた腰の治療に集中できなかっただろうな〜。だましだましやりながら、数ヶ月ごとに小爆発を繰り返す自分が想像につく。。仕事に思いっきり悪影響が出てしまい、特に移動やイベントが増える下半期は苦しかったに違いない。それでも休めずに気力を振り絞り続けていたのかもと思うとゾッとします。

生活習慣は大きく変わらないし、プロジェクトの数が増えてしまうことで、学術的な文献を読むことはきっとあまり多くなかったんだろうな。目の前の仕事がある「いま」においてはそれでよかったんどろうけど、今の仕事を10年、20年と続けようと思った時にそれではすぐに伸び悩んでしまう。大学院修了後、機会が減った論文を再び読み直すように、少しずつ習慣化できてる今は時間投資として間違ってないと思いたい。

再びフリーランスに戻り、合同会社の代表を務め、まちづくりに積極的に関わる「忙しい人」として3年くらいは過ごせたんだろう。満足感や信頼関係はそれなりに得られるし、成果につながる部分もあったと思う。5年後につながる自己成長や事業拡大(売り上げだけでなく、関係性という意味でも)をわずかに見出すだろうけど、常に何かに焦った状態で落ち着かない日々を過ごしていそうだ。

今を肯定するばかりでないけれど、言葉にすると現実とのギャップをいろいろ発見がある。いろんな誤魔化していたことが明るみになり、乗り越えなくちゃいけないことがたくさんたあるとあらためて気がつく。ケアとものづくり、もっと思索的な未来を描き、進むべき道を有松から考えたい。